旧石器時代・縄文時代・弥生時代

学習のしかた

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マンモスや 象の化石が、日本各地で発見されています。

日本列島がいまのような形になったのは、いまから約 年前です。

日本にも旧石器時代があったことが最初に明らかにされたのは、 県の 遺跡の発見からです。

縄目の文様がついている土器を 土器といいます。

縄文時代の人々は、台地の上に をつくり、狩りや漁・採集などをしてくらしていました。

縄文時代の人々の食生活やどのような道具を使っていたのかということは、 を調べるとわかります。

縄文土器の名づけ親であるアメリカ人の が発見したのが、 です。

縄文時代の人々は、安産や魔よけ、獲物が多くとれることなどをいのって をつくりました。

縄文時代には、 の差や のちがいがないと、考えられています。

縄文時代のイメージを大きく変える発見が行われたのは、青森県の 遺跡です。

うす手のかたい 土器が使われていた時代を 時代といい、約 年間続きました。

水田は低湿地につくられ、稲が実ると磨製の で収穫し、 などにたくわえました。

静岡県にある 遺跡から水田や村のあとが、佐賀県の 遺跡からは環濠集落が発見されました。

青銅器には、銅剣・銅鉾・銅鏡・ などがあり、いずれも宝器や として使われました。

つりがねのような型をした青銅器の は、おもに 地方で発見されました。

鉄器は武器や農具・工具などに使われましたが、 もいぜんとして広く使われていました。

稲作が広まると、収穫の多い少ないなどによって、 の差や のちがいがおこりました。

稲作が広まると、  をめぐる村どうしの争いが多くなりました。

中国の歴史の本で、倭 について書いてある最初の本が です。

紀元前1世紀ごろの日本は、 あまりの小国に分かれていました。

中国の皇帝 から金印を授かったのは、 国の王で、 世紀中ごろのことです。

 ときざまれた金印は、福岡県の で発見されました。

邪馬台国の女王 は、 世紀に あまりの小国をまとめ、人々を支配していました。

邪馬台国のようすをくわしく記した中国の歴史書が です。

邪馬台国があったところは、  ではないかといわれています。


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