私たちは中学受験を応援します

まず、指導現場で感じていることを列挙してみます。この仕事に従事している方は、どなたも程度の差こそあれ、感じていらっしゃることと思います。
  1.バブル崩壊後の価値基準の喪失
  2.文部省(文部科学省)推進の学力崩壊政策の実現?!
  3.長期不況による教育費の引き締め
  4.子どもたちの変質

塾という現実の指導現場で、上の四点がどう出ているかを次に示します。

  1.は、既存の「高い学力・学歴=高収入」という枠の崩壊という形で現れました。2.3.と相まって、「そんなに勉強して、いわゆるよい学校へいってどうなるのか」という考え方(無力感?)、逆に「こういう時代だからこそ、真の学力を身につけさせなければいけない。時代が変わっても、変わらない学力というものがあるはずだ。」という考え方に分かれているのではないでしょうか。学校側でも、某私立中高校の校長先生が「君たちは未来からの留学生、私たちが指導することは…」と発言されているのを聞きました。「未来からの留学生」聞こえのよい言葉です。おもねているのではと勘ぐりたくもなります。しかし、実際は学校の機能のうちの学力向上、「高い学力=将来の安定」という価値基準が、崩壊し次にどういう基準を提示できるかという点で、この方は自信喪失していらっしゃるのだと思います。学校のトップがそうなんですから、ましてやご父母のなかに我が子をどうしたらよいか、迷う方がいらしても無理はありません。
 
「流行不易」ということばがあります。わかりやすく言うと「時代の変化とともに変わる部分と変わらない部分」とでもなりますでしょうか。私立学校でも、時代のニーズにあった学力形成、それと時代の変化にはかかわらない基礎学力等の養成があると思います。
 
時代のニーズは「パソコン」などのツールであり、「グローバル化」に対応できる人材育成でしょう。さけて通れないものです。中には、「グローバル化教育は、学校のウリにならないな」という校長先生がいらっしゃいました。学校の受けねらいで教育方針など変えられたら、たまりません。また、ウケないからといって必須の事柄を指導されないのでは、困りものです。さらに先ほど例に挙げた方は「グローバル化はアイデンテティーの喪失につながるから」と、続けられました。ずいぶん前から、外国と交流すればするほど自国の歴史・地理などの教養が必要となることが、指摘されているという基本的なことを失念しています。こういう方がトップである私立学校の現場の先生方はさぞご苦労されていることと想像しています。
 
さて、不易の部分は、「創立の精神」のことが多いのではないでしょうか。もちろん「創立の精神」とそのときの時代背景・創立者の生き様など関係の深いものでしょう。しかし、精神の本質的な部分は時代を超えて受け継がれていくものだと思います。
 
2.の部分は、塾という指導現場では、ここ数年目の当たりに突きつけられています。学級崩壊ということばをきいて久しいですが、この普遍化・恒常化が進行しているように思えます。集団での指導には、受ける側にもルールがあります。「話を聞く」「テキストを開く等指示に従う行動」など、ごく基本的な授業をうける姿勢がとれない生徒が急増しています。小学校における、低学年時の体制作りができない(しない)せいだと思われます。集団での行動規範が植え付けられていないと思われます。家庭でのしつけの問題もあるでしょうが、それだけではないようです。
 
 さらに具体的には、私語はいけないことだという認識がない。人前で大あくび・おならなどエチケット違反であることなど認識していない。
  塾では、この「しつけ」からスタートしなくてはならない。以前より学習以前の負担が増しています。そこで、私立中・高等学校では、なんら表面化していないのだろうか。私立中・高等学校には学級崩壊は存在しないのだろうか。素朴な疑問があっても当然でしょう。 この点情報開示が進んでいる学校がご父母の信頼を得るのは当然のことだと思います。
 
 また、「読み・書き・そろばん(計算力)」という寺子屋の時代から、必須とされてきた基礎学力が脆弱になっています。「識字率が下がっている」と笑えない冗談を言う方もいらっしゃいました。その点読書などの指導が徹底している私立学校の存在は、小論文対策ということとはべつに心強いものがあります。
 
 3.は、いろいろな塾さんからお聞きしますと負担増のため退塾、学校関係者からお聞きすると公立へ転校という生徒さんが近年増えているとのこと。私学ではなんらかの支援体制をとっている学校があるようです。見える形でより推進していただきたいものです。
 
 4.は2.の学力崩壊と軌を一にしています。「公への反逆」などと指摘する方もいらっしゃいます。公衆道徳などという言葉が死語となるのでしょうか。以前はカンニングなど、ごく少数の生徒がすることでした。いまは、見つからなければ平気。落とし物は、見つけた人のもの。ルールは自分に都合のよいものだけ受け入れるという、自己中心的なタイプが一般化しています。
 
 また、「考える力」の育成という旗印とは反対に、ものを考えられない生徒が多数です。刹那的・感情的なものには瞬間的に反応しますが、理論的に推理してく力は、十数年前の生徒と比べて劣っていると感じられます。客観的なデータのない経験からの感想ですが、理科・算数などご指導の先生方は、痛感されていることと思います。 私学で近年急速に進学実績を伸ばしている学校があります。これらマイナスの要因をどう払拭し、大学受験という場で実績を伸ばしているのか知りたいところです。 手前味噌ですが、JUKU21世紀の会では「伸びている私学のキーワード」を公開していただこうという企画を進めています。
 

次に、ご父母側の変化と私学という観点からみてみましょう。

・学校選択基準の変化
ご父母と接していて私学をどう見ているか教えられることが多々あります。受験校の選択要素として
  立地、共学・女子校・男子校、進学校、
  付属校、校風 宗教(キリスト教、仏教 その宗派)
  教育体制(システム、習熟度別、カリキュラム、シラバス)
  施設(パソコンなど視聴覚、屋内プールなど体育施設)
  進路(合格実績) 難易度、試験科目、日程 制服、諸先輩(在校生の)様子・態度など
  説明会における校長先生の話、諸先生の感じ(雰囲気)、指導姿勢、 ネームバリュー などなど

選択要素は、非常に多く、選択基準(いろいろな尺度)が多様化しております。伝統校などの知名度、偏差値優先などから変化してきていると思います。学校の実体を見て、自分ではなく自分の子供にあった学校選択を心がけるようになってきているように思います。

 上記の要素の中で、説明会と在校生の印象のウェイトが高いようです。
「在学生は私学の歩く広告塔」といえましょう。
 
・受験パターンの大きな変化
  これは各学校の入試日・入試科目の変更等から、必然的に促されたものでしょう。私学の受験のし易さ・生徒の囲い込み策などがありますが、受験生を多く集めるためだけの小手先の対策はとらずにいてほしいものです。短期的には効果があっても、中長期的にはレベル低下をもたらします。
  入試結果の即日発表は、「功罪相半ば」というところですが、ダブル出願の増加・短期決戦型へと変わってきました。
  長期的には、本質的な「学校の存在意義とは何か」を考えているところが生き残っていくのだと思いたいものです。
 
◎中学受験を応援する
 人生の半分以上を、この仕事に従事してきました。供給過多の今日、次のように思い始めました。
この言葉には受験する生徒を応援する。私立の中高等学校を応援する。二つの意味がありますが、前者は塾として当然のことです。後者は「がんばる(存在理由のある)学校を応援する」のだと。
塾は、否が応でも頑張っています。
私は頑張る私学を、中学受験生を応援します。
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【プロフィール】 永瀬 喜文
略歴 北海道出身、早大在学中から日本進学教室で受験指導。その後独立。
中学受験指導一筋に30年のキャリア。 優学習会 塾長 JUKU21世紀の会幹事
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2001月5月号塾ジャーナル掲載記事より
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