牛(うし)をつないだ椿(つばき)の木(き)

新美南吉(にいみなんきち)



  一

 山(やま)の中(なか)の道(みち)のかたわらに、椿(つばき)の若木(わかぎ)がありました。牛曳(うしひ)きの利助(りすけ)さんは、それに牛(うし)をつなぎました。
 人力曳(じんりきひ)きの海蔵(かいぞう)さんも、椿(つばき)の根本(ねもと)へ人力車(じんりきしゃ)をおきました。人力車(じんりきしゃ)は牛(うし)ではないから、つないでおかなくってもよかったのです。
 そこで、利助(りすけ)さんと海蔵(かいぞう)さんは、水(みず)をのみに山(やま)の中(なか)にはいってゆきました。道(みち)から一町(ちょう)ばかり山(やま)にわけいったところに、清(きよ)くてつめたい清水(しみず)がいつも湧(わ)いていたのであります。
 二人(ふたり)はかわりばんこに、泉(いずみ)のふちの、しだやぜんまい[#「しだ」「ぜんまい」に傍点]の上(うえ)に両手(りょうて)をつき、腹(はら)ばいになり、つめたい水(みず)の匂(にお)いをかぎながら、鹿(しか)のように水(みず)をのみました。はらの中(なか)が、ごぼごぼいうほどのみました。
 山(やま)の中(なか)では、もう春蝉(はるぜみ)が鳴(な)いていました。
「ああ、あれがもう鳴(な)き出(だ)したな。あれをきくと暑(あつ)くなるて。」
と、海蔵(かいぞう)さんが、まんじゅう笠(がさ)をかむりながらいいました。
「これからまたこの清水(しみず)を、ゆききのたンびに飲(の)ませてもらうことだて。」
と、利助(りすけ)さんは、水(みず)をのんで汗(あせ)が出(で)たので、手拭(てぬぐ)いでふきふきいいました。
「もうちと、道(みち)に近(ちか)いとええがのオ。」
海蔵(かいぞう)さんがいいました。
「まったくだて。」
と、利助(りすけ)さんが答(こた)えました。ここの水(みず)をのんだあとでは、誰(だれ)でもそんなことを挨拶(あいさつ)のようにいいあうのがつねでした。
 二人(ふたり)が椿(つばき)のところへもどって来(く)ると、そこに自転車(じてんしゃ)をとめて、一人(ひとり)の男(おとこ)の人(ひと)が立(た)っていました。その頃(ころ)は自転車(じてんしゃ)が日本(にっぽん)にはいって来(き)たばかりのじぶんで、自転車(じてんしゃ)を持(も)っている人(ひと)は、田舎(いなか)では旦那衆(だんなしゅう)にきまっていました。
誰(だれ)だろう。」
と、利助(りすけ)さんが、おどおどしていいました。
区長(くちょう)さんかも知(し)れん。」
と、海蔵(かいぞう)さんがいいました。そばに来(き)てみると、それはこの附近(ふきん)の土地(とち)を持(も)っている、町(まち)の年(とし)とった地主(じぬし)であることがわかりました。そして、も一つわかったことは、地主(じぬし)がかんかんに怒(おこ)っていることでした。
「やいやい、この牛(うし)は誰(だれ)の牛(うし)だ。」
と、地主(じぬし)は二人(ふたり)をみると、どなりつけました。その牛(うし)は利助(りすけ)さんの牛(うし)でありました。
「わしの牛(うし)だがのイ。」
「てめえの牛(うし)? これを見(み)よ。椿(つばき)の葉(は)をみんな喰(く)ってすっかり坊主(ぼうず)にしてしまったに。」
 二人(ふたり)が、牛(うし)をつないだ椿(つばき)の木(き)を見(み)ると、それは自転車(じてんしゃ)をもった地主(じぬし)がいったとおりでありました。若(わか)い椿(つばき)の、柔(やわ)らかい葉(は)はすっかりむしりとられて、みすぼらしい杖(つえ)のようなものが立(た)っていただけでした。
 利助(りすけ)さんは、とんだことになったと思(おも)って、顔(かお)をまっかにしながら、あわてて木(き)から綱(つな)をときました。そして申(もう)しわけに、牛(うし)の首(くび)ったまを、手綱(たづな)でぴしりと打(う)ちました。
 しかし、そんなことぐらいでは、地主(じぬし)はゆるしてくれませんでした。地主(じぬし)は大人(おとな)の利助(りすけ)さんを、まるで子供(こども)を叱(しか)るように、さんざん叱(しか)りとばしました。そして自転車(じてんしゃ)のサドルをパンパン叩(たた)きながら、こういいました。
「さあ、何(なん)でもかんでも、もとのように葉(は)をつけてしめせ。」
 これは無理(むり)なことでありました。そこで人力曳(じんりきひ)きの海蔵(かいぞう)さんも、まんじゅう笠(がさ)をぬいで、利助(りすけ)さんのためにあやまってやりました。
「まあまあ、こんどだけはかに[#「かに」に傍点]してやっとくんやす。利助(りすけ)さも、まさか牛(うし)が椿(つばき)を喰(く)ってしまうとは知(し)らずにつないだことだて。」
 そこでようやく地主(じぬし)は、はらのむしがおさまりました。けれど、あまりどなりちらしたので、体(からだ)がふるえるとみえて、二、三べん自転車(じてんしゃ)に乗(の)りそこね、それからうまくのって、行(い)ってしまいました。
 利助(りすけ)さんと海蔵(かいぞう)さんは、村(むら)の方(ほう)へ歩(ある)きだしました。けれどもう話(はなし)をしませんでした。大人(おとな)が大人(おとな)に叱(しか)りとばされるというのは、情(なさ)けないことだろうと、人力曳(じんりきひ)きの海蔵(かいぞう)さんは、利助(りすけ)さんの気持(きも)ちをくんでやりました。
「もうちっと、あの清水(しみず)が道(みち)に近(ちか)いとええだがのオ。」
と、とうとう海蔵(かいぞう)さんが言(い)いました。
「まったくだて。」
と、利助(りすけ)さんが答(こた)えました。

  二
 
 海蔵(かいぞう)さんが人力曳(じんりきひ)きのたまり場(ば)へ来(く)ると、井戸掘(いどほ)りの新五郎(しんごろう)さんがいました。人力曳(じんりきひ)きのたまり場(ば)といっても、村(むら)の街道(かいどう)にそった駄菓子屋(だがしや)のことでありました。そこで井戸掘(いどほ)りの新五郎(しんごろう)さんは、油菓子(あぶらがし)をかじりながら、つまらぬ話(はなし)を大(おお)きな声(こえ)でしていました。井戸(いど)の底(そこ)から、外(そと)にいる人(ひと)にむかって話(はなし)をするために、井戸新(いどしん)さんの声(こえ)が大(おお)きくなってしまったのであります。
井戸(いど)ってもなア、いったいいくらくらいで掘(ほ)れるもんかイ、井戸新(いどしん)さ。」
と、海蔵(かいぞう)さんは、じぶんも駄菓子箱(だがしばこ)から油菓子(あぶらがし)を一本(ぽん)つまみだしながらききました。
 井戸新(いどしん)さんは、人足(にんそく)がいくらいくら、井戸囲(いどがこ)いの土管(どかん)がいくらいくら、土管(どかん)のつぎめを埋(う)めるセメントがいくらと、こまかく説明(せつめい)して、
先(ま)ず、ふつうの井戸(いど)なら、三十円(えん)もあればできるな。」
と、いいました。
「ほオ、三十円(えん)な。」
と、海蔵(かいぞう)さんは、眼(め)をまるくしました。それからしばらく、油菓子(あぶらがし)をぼりぼりかじっていましたが、
「しんたのむね[#「しんたのむね」に傍点]を下(お)りたところに掘(ほ)ったら、水(みず)が出(で)るだろうかなア。」
と、ききました。それは、利助(りすけ)さんが牛(うし)をつないだ椿(つばき)の木(き)のあたりのことでありました。
「うん、あそこなら、出(で)ようて、前(まえ)の山(やま)で清水(しみず)が湧(わ)くくらいだから、あの下(した)なら水(みず)は出(で)ようが、あんなところへ井戸(いど)を掘(ほ)って何(なん)にするや。」
と、井戸新(いどしん)さんがききました。
「うん、ちっとわけがあるだて。」
と、答(こた)えたきり、海蔵(かいぞう)さんはそのわけをいいませんでした。
 海蔵(かいぞう)さんは、からの人力車(じんりきしゃ)をひきながら家(いえ)に帰(かえ)ってゆくとき、
「三十円(えん)な。……三十円(えん)か。」
と、何度(なんど)もつぶやいたのでありました。
 海蔵(かいぞう)さんは藪(やぶ)をうしろにした小(ちい)さい藁屋(わらや)に、年(とし)とったお母(かあ)さんと二人(ふたり)きりで住(す)んでいました。二人(ふたり)は百姓仕事(ひゃくしょうしごと)をし、暇(ひま)なときには海蔵(かいぞう)さんが、人力車(じんりきしゃ)を曳(ひ)きに出(で)ていたのであります。
 夕飯(ゆうはん)のときに二人(ふたり)は、その日(ひ)にあったことを話(はな)しあうのが、たのしみでありました。年(とし)とったお母(かあ)さんは隣(となり)の鶏(にわとり)が今日(きょう)はじめて卵(たまご)をうんだが、それはおかしいくらい小(ちい)さかったこと、背戸(せど)の柊(ひいらぎ)の木(き)に蜂(はち)が巣(す)をかけるつもりか、昨日(きのう)も今日(きょう)も様子(ようす)を見(み)に来(き)たが、あんなところに蜂(はち)の巣(す)をかけられては、味噌部屋(みそべや)へ味噌(みそ)をとりにゆくときにあぶなくてしようがないということを話(はな)しました。
 海蔵(かいぞう)さんは、水(みず)をのみにいっている間(あいだ)に利助(りすけ)さんの牛(うし)が椿(つばき)の葉(は)を喰(く)ってしまったことを話(はな)して、
「あそこの道(みち)ばたに井戸(いど)があったら、いいだろにのオ。」と、いいました。
「そりゃ、道(みち)ばたにあったら、みんながたすかる。」
と、いって、お母(かあ)さんは、あの道(みち)の暑(あつ)い日盛(ひざか)りに通(とお)る人々(ひとびと)をかぞえあげました。大野(おおの)の町(まち)から車(くるま)をひいて来(く)る油売(あぶらう)り、半田(はんだ)の町(まち)から大野(おおの)の町(まち)へ通(とお)る飛脚屋(ひきゃくや)、村(むら)から半田(はんだ)の町(まち)へでかけてゆく羅宇屋(らうや)の富(とみ)さん、そのほか沢山(たくさん)の荷馬車曳(にばしゃひ)き、牛車曳(ぎゅうしゃひ)き、人力曳(じんりきひ)き、遍路(へんろ)さん、乞食(こじき)、学校生徒(がっこうせいと)などをかぞえあげました。これらの人(ひと)ののど[#「のど」に傍点]がちょうどしんたのむね[#「しんたのむね」に傍点]あたりで乾(かわ)かぬわけにはいきません。
「だで、道(みち)のわきに井戸(いど)があったら、どんなにかみんながたすかる。」
と、お母(かあ)さんは話(はなし)をむすびました。
 三十円(えん)くらいで、その井戸(いど)が掘(ほ)れるということを、海蔵(かいぞう)さんが話(はな)しました。
「うちのような貧乏人(びんぼうにん)にゃ、三十円(えん)といや大(たい)した金(かね)で眼(め)がまうが、利助(りすけ)さんとこのような成金(なりきん)にとっちゃ、三十円(えん)ばかりは何(なん)でもあるまい。」
と、お母(かあ)さんはいいました。海蔵(かいぞう)さんは、せんだって利助(りすけ)さんが、山林(さんりん)でたいそうなお金(かね)を儲(もう)けたそうなときいたことをおもいだしました。
 ひと風呂(ふろ)あびてから、海蔵(かいぞう)さんは牛車曳(ぎゅうしゃひ)きの利助(りすけ)さんの家(いえ)へ出(で)かけました。
 うしろ山(やま)で、ほオほオと梟(ふくろう)が鳴(な)いていて、崖(がけ)の上(うえ)の仁左(にざ)エ門(もん)さんの家(いえ)では、念仏講(ねんぶつこう)があるのか、障子(しょうじ)にあかりがさし、木魚(もくぎょ)の音(おと)が、崖(がけ)の下(した)のみちまでこぼれていました。もう夜(よる)でありました。行(い)ってみると、働(はたら)き者(もの)の利助(りすけ)さんは、まだ牛小屋(うしごや)の中(なか)のくらやみで、ごそごそと何(なに)かしていました。
「えらい精(せい)が出(で)るのオ。」
と、海蔵(かいぞう)さんがいいました。
「なに、あれから二へん半田(はんだ)まで通(かよ)ってのオ、ちょっとおくれただてや。」
といいながら、牛(うし)の腹(はら)の下(した)をくぐって利助(りすけ)さんが出(で)て来(き)ました。
 二人(ふたり)が縁(えん)ばなに腰(こし)をかけると、海蔵(かいぞう)さんが、
「なに、きょうのしんたのむね[#「しんたのむね」に傍点]のことだがのオ。」
と、話(はな)しはじめました。
「あの道(みち)ばたに井戸(いど)を一つ掘(ほ)ったら、みんながたすかると思(おも)うがのオ。」
と、海蔵(かいぞう)さんがもちかけました。
「そりゃ、たすかるのオ。」
と、利助(りすけ)さんがうけました。
牛(うし)が椿(つばき)の葉(は)をくっちまうまで知(し)らんどったのは、清水(しみず)が道(みち)から遠(とお)すぎるからだのオ。」
「そりゃ、そうだのオ。」
「三十円(えん)ありゃ、あそこに井戸(いど)がひとつ掘(ほ)れるだがのオ。」
「ほオ、三十円(えん)のオ。」
「ああ、三十円(えん)ありゃええだげな。」
「三十円(えん)ありゃのオ。」
 こんなふうにいっていても、いっこう利助(りすけ)さんが、こちらの心(こころ)をくみとってくれないので、海蔵(かいぞう)さんは、はっきりいってみました。
「それだけ、利助(りすけ)さ、ふんぱつしてくれないかエ。きけば、お前(まえ)、だいぶ山林(さんりん)でもうかったそうだが。」
 利助(りすけ)さんは、いままで調子(ちょうし)よくしゃべっていましたが、きゅうに黙(だま)ってしまいました。そして、じぶんのほっぺたをつねっていました。
「どうだエ、利助(りすけ)さ。」
と、海蔵(かいぞう)さんは、しばらくして答(こた)えをうながしました。
 それでも利助(りすけ)さんは、岩(いわ)のように黙(だま)っていました。どうやら、こんな話(はなし)は利助(りすけ)さんには面白(おもしろ)くなさそうでした。
「三十円(えん)で、できるげながのオ。」
と、また海蔵(かいぞう)さんがいいました。
「その三十円(えん)をどうしておれが出(だ)すのかエ。おれだけがその水(みず)をのむなら話(はなし)がわかるが、ほかのもんもみんなのむ井戸(いど)に、どうしておれが金(かね)を出(だ)すのか、そこがおれにはよくのみこめんがのオ。」
と、やがて利助(りすけ)さんはいいました。
 海蔵(かいぞう)さんは、人々(ひとびと)のためだということを、いろいろと説(と)きましたが、どうしても利助(りすけ)さんには「のみこめ」ませんでした。しまいには利助(りすけ)さんは、もうこんな話(はなし)はいやだというように、
「おかか、めしのしたくしろよ。おれ、腹(はら)がへっとるで。」
と、家(いえ)の中(なか)へむかってどなりました。
 海蔵(かいぞう)さんは腰(こし)をあげました。利助(りすけ)さんが、夜(よる)おそくまでせっせと働(はたら)くのは、じぶんだけのためだということがよくわかったのです。
 ひとりで夜(よ)みちを歩(ある)きながら、海蔵(かいぞう)さんは思(おも)いました。――こりゃ、ひとにたよっていちゃだめだ、じぶんの力(ちから)でしなけりゃ、と。

  三

 旅(たび)の人(ひと)や、町(まち)へゆく人(ひと)は、しんたのむね[#「しんたのむね」に傍点]の下(した)の椿(つばき)の木(き)に、賽銭箱(さいせんばこ)のようなものが吊(つ)るされてあるのを見(み)ました。それには札(ふだ)がついていて、こう書(か)いてありました。
「ここに井戸(いど)を掘(ほ)って旅(たび)の人(ひと)にのんでもらおうと思(おも)います。志(こころざし)のある方(かた)は一銭(せん)でも五厘(りん)でも喜捨(きしゃ)して下(くだ)さい。」
 これは海蔵(かいぞう)さんのしわざでありました。それがしょうこに、それから五、六日(にち)のち、海蔵(かいぞう)さんは、椿(つばき)の木(き)に向(む)かいあった崖(がけ)の上(うえ)にはらばいになって、えにしだの下(した)から首(くび)ったまだけ出(だ)し、人々(ひとびと)の喜捨(きしゃ)のしようを見(み)ていました。
 やがて半田(はんだ)の町(まち)の方(ほう)からお婆(ばあ)さんがひとり、乳母車(うばぐるま)を押(お)してきました。花(はな)を売(う)って帰(かえ)るところでしょう。お婆(ばあ)さんは箱(はこ)に目(め)をとめて、しばらく札(ふだ)をながめていました。しかし、お婆(ばあ)さんは字(じ)を読(よ)んだのではなかったのです。なぜなら、こんなひとりごとをいいました。
地蔵(じぞう)さんも何(なに)もないのに、なんでこんなとこに賽銭箱(さいせんばこ)があるのじゃろ。」そしてお婆(ばあ)さんは行(い)ってしまいました。
 海蔵(かいぞう)さんは、右手(みぎて)にのせていたあごを、左手(ひだりて)にのせかえました。
 こんどは村(むら)の方(ほう)から、しりはしょりした、がにまたのお爺(じい)さんがやって来(き)ました。「庄平(しょうへい)さんのじいさんだ。あの爺(じい)さんは昔(むかし)の人間(にんげん)でも、字(じ)が読(よ)めるはずだ。」と、海蔵(かいぞう)さんはつぶやきました。
 お爺(じい)さんは箱(はこ)に眼(め)をとめました。そして「なになに。」といいながら、腰(こし)をのばして札(ふだ)を読(よ)みはじめました。読(よ)んでしまうと、「なアるほど、ふふウん、なアるほど。」と、ひどく感心(かんしん)しました。そして、懐(ふところ)の中(なか)をさぐりだしたので、これは喜捨(きしゃ)してくれるなと思(おも)っていると、とり出(だ)したのは古(ふる)くさい莨入(たばこい)れでした。お爺(じい)さんは椿(つばき)の根元(ねもと)でいっぷくすって行(い)ってしまいました。
 海蔵(かいぞう)さんは起(お)きあがって、椿(つばき)の木(き)の方(ほう)へすべりおりました。
 箱(はこ)を手(て)にとって、ふってみました。何(なん)の手(て)ごたえもないのでした。
 がっかりして海蔵(かいぞう)さんは、ふうッと、といきをもらしました。
「けっきょく、ひとは頼(たよ)りにならんとわかった。いよいよこうなったら、おれひとりの力(ちから)でやりとげるのだ。」
といいながら、海蔵(かいぞう)さんは、しんたのむね[#「しんたのむね」に傍点]をのぼって行(い)きました。

  四

 次(つぎ)の日(ひ)、大野(おおの)の町(まち)へ客(きゃく)を送(おく)ってきた海蔵(かいぞう)さんが、村(むら)の茶店(ちゃみせ)にはいっていきました。そこは、村(むら)の人力曳(じんりきひ)きたちが一仕事(ひとしごと)して来(く)ると、次(つぎ)のお客(きゃく)を待(ま)ちながら、憩(やす)んでいる場所(ばしょ)になっていたのでした。その日(ひ)も、海蔵(かいぞう)さんよりさきに三人(にん)の人力曳(じんりきひ)きが、茶店(ちゃみせ)の中(なか)に憩(やす)んでいました。
 店(みせ)にはいって来(き)た海蔵(かいぞう)さんは、いつものように、駄菓子箱(だがしばこ)のならんだ台(だい)のうしろに仰向(あおむ)けに寝(ね)ころがってうっかり油菓子(あぶらがし)をひとつ摘(つま)んでしまいました。人力曳(じんりきひ)きたちは、お客(きゃく)を待(ま)っているあいだ、することがないので、つい、駄菓子箱(だがしばこ)のふたをあけて、油菓子(あぶらがし)や、げんこつや、ぺこしゃんという飴(あめ)や、やきするめや餡(あん)つぼなどをつまむのが癖(くせ)になっていました。海蔵(かいぞう)さんもまたそうでした。
 しかし海蔵(かいぞう)さんは、今(いま)、つまんだ油菓子(あぶらがし)をまたもとの箱(はこ)に入(い)れてしまいました。
 見(み)ていた仲間(なかま)の源(げん)さんが、
「どうしただや、海蔵(かいぞう)さ。あの油菓子(あぶらがし)は鼠(ねずみ)の小便(しょうべん)でもかかっておるだかや。」
といいました。
 海蔵(かいぞう)さんは顔(かお)をあかくしながら、
「ううん、そういうわけじゃねえけれど、きょうはあまり喰(た)べたくないだがや。」
と、答(こた)えました。
「へへエ。いっこう顔色(かおいろ)も悪(わる)くないようだが、それでどこか悪(わる)いだかや。」
と、源(げん)さんがいいました。
 しばらくして源(げん)さんは、ガラス壺(つぼ)から金平糖(こんぺいとう)を一掴(ひとつか)みとり出(だ)すと、そのうちの一つをぽオいと上(うえ)に投(な)げあげ、口(くち)でぱくりと受(う)けとめました。そして、
「どうだや、海蔵(かいぞう)さ。これをやらんかや。」
といいました。海蔵(かいぞう)さんは、昨日(きのう)まではよく源(げん)さんと、それ[#「それ」に傍点]をやったものでした。二人(ふたり)で競争(きょうそう)をやって、受(う)けそこなった数(かず)のすくないものが、相手(あいて)に別(べつ)の菓子(かし)を買(か)わせたりしたものでした。そして海蔵(かいぞう)さんは、この芸当(げいとう)ではほかのどの人力曳(じんりきひ)きにも負(ま)けませんでした。
 しかし、きょうは海蔵(かいぞう)さんはいいました。
朝(あさ)から奥歯(おくば)がやめやがってな、甘(あま)いものはたべられんのだてや。」
「そうかや、そいじゃ、由(よし)さ、やろう。」
といって、源(げん)さんは由(よし)さんと、それをはじめました。
 二人(ふたり)は色(いろ)とりどりの金平糖(こんぺいとう)を、天井(てんじょう)に向(む)かって投(な)げあげてはそれを口(くち)でとめようとしましたが、うまく口(くち)にはいるときもあれば、鼻(はな)にあたったり、たばこぼんの灰(はい)の中(なか)にはいったりすることもありました。
 海蔵(かいぞう)さんは、じぶんがするなら、ひとつもそらしはしないのだがなあ、と思(おも)いながら見(み)ていました。あまり源(げん)さんと由(よし)さんが落(お)としてばかりいると、「よし、おれがひとつやって見(み)せてやろかい。」といって出(で)たくなるのでしたが、それをがまんしていました。これはたいへんつらいことでありました。
 はやく、お客(きゃく)がくればいいのになあ、と海蔵(かいぞう)さんは眼(め)をほそめて明(あか)るい道(みち)の方(ほう)を見(み)ていました。しかしお客(きゃく)よりさきに、茶店(ちゃみせ)のおかみさんが、焼(や)きたてのほかほかの大餡巻(おおあんまき)をつくってあらわれました。
 人力曳(じんりきひ)きたちは、大(おお)よろこびで、一本(ぽん)ずつとりました。海蔵(かいぞう)さんもがまんできなくなって、手(て)が少(すこ)しうごきだしましたが、やっとのことでおさえました。
海蔵(かいぞう)さ、どうしたじゃ。一銭(せん)もつかわんで、ごっそりためておいて、大(おお)きな倉(くら)でもたてるつもりかや。」
と、源(げん)さんがいいました。
 海蔵(かいぞう)さんは苦(くる)しそうに笑(わら)って、外(そと)へ出(で)てゆきました。そして、溝(みぞ)のふちで、かやつり草(ぐさ)を折(お)って、蛙(かえる)をつっていました。
 海蔵(かいぞう)さんの胸(むね)の中(うち)には、拳骨(げんこつ)のように固(かた)い決心(けっしん)があったのです。今(いま)までお菓子(かし)につかったお金(かね)を、これからは使(つか)わずにためておいて、しんたのむね[#「しんたのむね」に傍点]の下(した)に、人々(ひとびと)のための井戸(いど)を掘(ほ)ろうというのでありました。
 海蔵(かいぞう)さんは、腹(はら)も歯(は)もいたくありませんでした。のどから手(て)が出(で)るほど、お菓子(かし)はたべたかったのでした。しかし、井戸(いど)をつくるために、今(いま)までの習慣(しゅうかん)をあらためたのでありました。

  五

 それから二年(ねん)たちました。
 牛(うし)が葉(は)をたべてしまった椿(つばき)にも、花(はな)が三つ四つ咲(さ)いたじぶんの或(あ)る日(ひ)、海蔵(かいぞう)さんは半田(はんだ)の町(まち)に住(す)んでいる地主(じぬし)の家(いえ)へやっていきました。
 海蔵(かいぞう)さんは、もう二(ふ)タ月(つき)ほどまえから、たびたびこの家(いえ)へ来(き)たのでした。井戸(いど)を掘(ほ)るお金(かね)はだいたいできたのですが、いざとなって地主(じぬし)が、そこに井戸(いど)を掘(ほ)ることをしょうちしてくれないので、何度(なんど)も頼(たの)みに来(き)たのでした。その地主(じぬし)というのは、牛(うし)を椿(つばき)につないだ利助(りすけ)さんを、さんざん叱(しか)ったあの老人(ろうじん)だったのです。
 海蔵(かいぞう)さんが門(もん)をはいったとき、家(いえ)の中(なか)から、ひえっというひどいしゃっくり[#「しゃっくり」に傍点]の音(おと)がきこえて来(き)ました。
 たずねて見(み)ると、一昨日(いっさくじつ)から地主(じぬし)の老人(ろうじん)は、しゃっくり[#「しゃっくり」に傍点]がとまらないので、すっかり体(からだ)がよわって、床(とこ)についているということでした。それで、海蔵(かいぞう)さんはお見舞(みま)いに枕(まくら)もとまできました。
 老人(ろうじん)は、ふとんを波(なみ)うたせて、しゃっくり[#「しゃっくり」に傍点]をしていました。そして、海蔵(かいぞう)さんの顔(かお)を見(み)ると、
「いや、何度(なんど)お前(まえ)が頼(たの)みにきても、わしは井戸(いど)を掘(ほ)らせん。しゃっくり[#「しゃっくり」に傍点]がもうあと一日(にち)つづくと、わしが死(し)ぬそうだが、死(し)んでもそいつは許(ゆる)さぬ。」
と、がんこにいいました。
 海蔵(かいぞう)さんは、こんな死(し)にかかった人(ひと)と争(あらそ)ってもしかたがないと思(おも)って、しゃっくり[#「しゃっくり」に傍点]にきくおまじないは、茶(ちゃ)わんに箸(はし)を一本(ぽん)のせておいて、ひといきに水(みず)をのんでしまうことだと教(おし)えてやりました。
 門(もん)を出(で)ようとすると、老人(ろうじん)の息子(むすこ)さんが、海蔵(かいぞう)さんのあとを追(お)ってきて、
「うちの親父(おやじ)は、がんこでしようがないのですよ。そのうち、私(わたし)の代(だい)になりますから、そしたら私(わたし)があなたの井戸(いど)を掘(ほ)ることを承知(しょうち)してあげましょう。」
といいました。
 海蔵(かいぞう)さんは喜(よろこ)びました。あの様子(ようす)では、もうあの老人(ろうじん)は、あと二、三日(にち)で死(し)ぬに違(ちが)いない。そうすれば、あの息子(むすこ)があとをついで、井戸(いど)を掘(ほ)らせてくれる、これはうまいと思(おも)いました。
 その夜(よる)、夕飯(ゆうはん)のとき、海蔵(かいぞう)さんは年(とし)とったお母(かあ)さんに、こう話(はな)しました。
「あのがんこ者(もん)の親父(おやじ)が死(し)ねば、息子(むすこ)が井戸(いど)を掘(ほ)らせてくれるそうだがのオ。だが、ありゃ、もう二、三日(にち)で死(し)ぬからええて。」
 すると、お母(かあ)さんはいいました。
「お前(まえ)は、じぶんの仕事(しごと)のことばかり考(かんが)えていて、悪(わる)い心(こころ)になっただな。人(ひと)の死(し)ぬのを待(ま)ちのぞんでいるのは悪(わる)いことだぞや。」
 海蔵(かいぞう)さんは、とむね[#「とむね」に傍点]をつかれたような気(き)がしました。お母(かあ)さんのいうとおりだったのです。
 次(つぎ)の朝(あさ)早(はや)く、海蔵(かいぞう)さんは、また地主(じぬし)の家(いえ)へ出(で)かけていきました。門(もん)をはいると、昨日(きのう)より力(ちから)のない、ひきつるようなしゃっくり[#「しゃっくり」に傍点]の声(こえ)が聞(き)こえて来(き)ました。だいぶ地主(じぬし)の体(からだ)が弱(よわ)ったことがわかりました。
「あんたは、また来(き)ましたね。親父(おやじ)はまだ生(い)きていますよ。」
と、出(で)て来(き)た息子(むすこ)さんがいいました。
「いえ、わしは、親父(おやじ)さんが生(い)きておいでのうちに、ぜひおあいしたいので。」
と、海蔵(かいぞう)さんはいいました。
 老人(ろうじん)はやつれて寝(ね)ていました。海蔵(かいぞう)さんは枕(まくら)もとに両手(りょうて)をついて、
「わしは、あやまりに参(まい)りました。昨日(きのう)、わしはここから帰(かえ)るとき、息子(むすこ)さんから、あなたが死(し)ねば息子(むすこ)さんが井戸(いど)を許(ゆる)してくれるときいて、悪(わる)い心(こころ)になりました。もうじき、あなたが死(し)ぬからいいなどと、恐(おそ)ろしいことを平気(へいき)で思(おも)っていました。つまり、わしはじぶんの井戸(いど)のことばかり考(かんが)えて、あなたの死(し)ぬことを待(ま)ちねがうというような、鬼(おに)にもひとしい心(こころ)になりました。そこで、わしは、あやまりに参(まい)りました。井戸(いど)のことは、もうお願(ねが)いしません。またどこか、ほかの場所(ばしょ)をさがすとします。ですから、あなたはどうぞ、死(し)なないで下(くだ)さい。」
と、いいました。
 老人(ろうじん)は黙(だま)ってきいていました。それから長(なが)いあいだ黙(だま)って海蔵(かいぞう)さんの顔(かお)を見上(みあ)げていました。
「お前(まえ)さんは、感心(かんしん)なおひとじゃ。」
と、老人(ろうじん)はやっと口(くち)を切(き)っていいました。
「お前(まえ)さんは、心(こころ)のええおひとじゃ、わしは長(なが)い生涯(しょうがい)じぶんの慾(よく)ばかりで、ひとのことなどちっとも思(おも)わずに生(い)きて来(き)たが、いまはじめてお前(まえ)さんのりっぱな心(こころ)にうごかされた。お前(まえ)さんのような人(ひと)は、いまどき珍(めずら)しい。それじゃ、あそこへ井戸(いど)を掘(ほ)らしてあげよう。どんな井戸(いど)でも掘(ほ)りなさい。もし掘(ほ)って水(みず)が出(で)なかったら、どこにでもお前(まえ)さんの好(す)きなところに掘(ほ)らしてあげよう。あのへんは、みな、わしの土地(とち)だから。うん、そうして、井戸(いど)を掘(ほ)る費用(ひよう)がたりなかったら、いくらでもわしが出(だ)してあげよう。わしは明日(あした)にも死(し)ぬかも知(し)れんから、このことを遺言(ゆいごん)しておいてあげよう。」
 海蔵(かいぞう)さんは、思(おも)いがけない言葉(ことば)をきいて、返事(へんじ)のしようもありませんでした。だが、死(し)ぬまえに、この一人(ひとり)の慾(よく)ばりの老人(ろうじん)が、よい心(こころ)になったのは、海蔵(かいぞう)さんにもうれしいことでありました。

  六

 しんたのむね[#「しんたのむね」に傍点]から打(う)ちあげられて、少(すこ)しくもった空(そら)で花火(はなび)がはじけたのは、春(はる)も末(すえ)に近(ちか)いころの昼(ひる)でした。
 村(むら)の方(ほう)から行列(ぎょうれつ)が、しんたのむね[#「しんたのむね」に傍点]を下(お)りて来(き)ました。行列(ぎょうれつ)の先頭(せんとう)には黒(くろ)い服(ふく)、黒(くろ)と黄(き)の帽子(ぼうし)をかむった兵士(へいし)が一人(ひとり)いました。それが海蔵(かいぞう)さんでありました。
 しんたのむね[#「しんたのむね」に傍点]を下(お)りたところに、かたがわには椿(つばき)の木(き)がありました。今花(いまはな)は散(ち)って、浅緑(あさみどり)の柔(やわ)らかい若葉(わかば)になっていました。もういっぽうには、崖(がけ)をすこしえぐりとって、そこに新(あたら)しい井戸(いど)ができていました。
 そこまで来(く)ると、行列(ぎょうれつ)がとまってしまいました。先頭(せんとう)の海蔵(かいぞう)さんがとまったからです。学校(がっこう)かえりの小(ちい)さい子供(こども)が二人(ふたり)、井戸(いど)から水(みず)を汲(く)んで、のどをならしながら、美(うつく)しい水(みず)をのんでいました。海蔵(かいぞう)さんは、それをにこにこしながら見(み)ていました。
「おれも、いっぱいのんで行(い)こうか。」
 子供(こども)たちがすむと、海蔵(かいぞう)さんはそういって、井戸(いど)のところへ行(い)きました。
 中(なか)をのぞくと、新(あたら)しい井戸(いど)に、新(あたら)しい清水(しみず)がゆたかに湧(わ)いていました。ちょうど、そのように、海蔵(かいぞう)さんの心(こころ)の中(なか)にも、よろこびが湧(わ)いていました。
 海蔵(かいぞう)さんは、汲(く)んでうまそうにのみました。
「わしはもう、思(おも)いのこすことはないがや。こんな小(ちい)さな仕事(しごと)だが、人(ひと)のためになることを残(のこ)すことができたからのオ。」
と、海蔵(かいぞう)さんは誰(だれ)でも、とっつかまえていいたい気持(きも)ちでした。しかし、そんなことはいわないで、ただにこにこしながら、町(まち)の方(ほう)へ坂(さか)をのぼって行(い)きました。
 日本(にっぽん)とロシヤが、海(うみ)の向(む)こうでたたかいをはじめていました。海蔵(かいぞう)さんは海(うみ)をわたって、そのたたかいの中(なか)にはいって行(い)くのでありました。

  七

 ついに海蔵(かいぞう)さんは、帰(かえ)って来(き)ませんでした。勇(いさ)ましく日露戦争(にちろせんそう)の花(はな)と散(ち)ったのです。しかし、海蔵(かいぞう)さんのしのこした仕事(しごと)は、いまでも生(い)きています。椿(つばき)の木(こ)かげに清水(しみず)はいまもこんこんと湧(わ)き、道(みち)につかれた人々(ひとびと)は、のどをうるおして元気(げんき)をとりもどし、また道(みち)をすすんで行(い)くのであります。


底本:「ごんぎつね・夕鶴」少年少女日本文学館第十五巻、講談社
   1986年4月18日第1刷発行、1993年2月25日第13刷発行
入力:田浦亜矢子
校正:もりみつじゅんじ
ファイル作成:もりみつじゅんじ
1999年10月25日公開
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