三四郎

夏目漱石




       五

 門をはいると、このあいだの萩(はぎ)が、人の丈(たけ)より高く茂って、株の根に黒い影ができている。この黒い影が地の上をはって、奥の方へゆくと、見えなくなる。葉と葉の重なる裏まで上ってくるようにも思われる。それほど表には濃い日があたっている。手洗水のそばに南天(なんてん)がある。これも普通よりは背が高い。三本寄ってひょろひょろしている。葉は便所の窓の上にある。
 萩と南天の間に椽側が少し見える。椽側は南天を基点としてはすに向こうへ走っている。萩の影になった所は、いちばん遠いはずれになる。それで萩はいちばん手前にある。よし子はこの萩の影にいた。椽側に腰をかけて。
 三四郎は萩とすれすれに立った。よし子は椽から腰を上げた。足は平たい石の上にある。三四郎はいまさらその背の高いのに驚いた。
 「おはいりなさい」
 依然として三四郎を待ち設けたような言葉づかいである。三四郎は病院の当時を思い出した。萩を通り越して椽鼻まで来た。
 「お掛けなさい」
 三四郎は靴をはいている。命(めい)のごとく腰をかけた。よし子は座蒲団(ざぶとん)を取って来た。
 「お敷きなさい」
 三四郎は蒲団を敷いた。門をはいってから、三四郎はまだ一言(ひとこと)も口を開かない。この単純な少女はただ自分の思うとおりを三四郎に言うが、三四郎からは毫(ごう)も返事を求めていないように思われる。三四郎は無邪気なる女王の前に出た心持ちがした。命を聞くだけである。お世辞を使う必要がない。一言でも先方の意を迎えるような事をいえば、急に卑しくなる、唖(おし)の奴隷のごとく、さきのいうがままにふるまっていれば愉快である。三四郎は子供のようなよし子から子供扱いにされながら、少しもわが自尊心を傷つけたとは感じえなかった。
 「兄ですか」とよし子はその次に聞いた。
 野々宮を尋ねて来たわけでもない。尋ねないわけでもない。なんで来たか三四郎にもじつはわからないのである。
 「野々宮さんはまだ学校ですか」
 「ええ、いつでも夜おそくでなくっちゃ帰りません」
 これは三四郎も知ってる事である。三四郎は挨拶(あいさつ)に窮した。見ると椽側に絵の具箱がある。かきかけた水彩がある。
 「絵をお習いですか」
 「ええ、好きだからかきます」
 「先生はだれですか」
 「先生に習うほどじょうずじゃないの」
 「ちょっと拝見」
 「これ? これまだできていないの」とかきかけを三四郎の方へ出す。なるほど自分のうちの庭がかきかけてある。空と、前の家の柿(かき)の木と、はいり口の萩だけができている。なかにも柿の木ははなはだ赤くできている。
 「なかなかうまい」と三四郎が絵をながめながら言う。
 「これが?」とよし子は少し驚いた。本当に驚いたのである。三四郎のようなわざとらしい調子は少しもなかった。
 三四郎はいまさら自分の言葉を冗談にすることもできず、またまじめにすることもできなくなった。どっちにしても、よし子から軽蔑(けいべつ)されそうである。三四郎は絵をながめながら、腹の中で赤面した。
 椽側から座敷を見回すと、しんと静かである。茶の間はむろん、台所にも人はいないようである。
 「おっかさんはもうお国へお帰りになったんですか」
 「まだ帰りません。近いうちに立つはずですけれど」
 「今、いらっしゃるんですか」
 「今ちょっと買物に出ました」
 「あなたが里見さんの所へお移りになるというのは本当ですか」
 「どうして」
 「どうしてって――このあいだ広田先生の所でそんな話がありましたから」
 「まだきまりません。ことによると、そうなるかもしれませんけれど」
 三四郎は少しく要領を得た。
 「野々宮さんはもとから里見さんと御懇意なんですか」
 「ええ。お友だちなの」
 男と女の友だちという意味かしらと思ったが、なんだかおかしい。けれども三四郎はそれ以上を聞きえなかった。
 「広田先生は野々宮さんのもとの先生だそうですね」
 「ええ」
 話は「ええ」でつかえた。
 「あなたは里見さんの所へいらっしゃるほうがいいんですか」
 「私? そうね。でも美禰子さんのお兄(あに)いさんにお気の毒ですから」
 「美禰子さんのにいさんがあるんですか」
 「ええ。うちの兄と同年の卒業なんです」
 「やっぱり理学士ですか」
 「いいえ、科は違います。法学士です。そのまた上の兄さんが広田先生のお友だちだったのですけれども、早くおなくなりになって、今では恭助(きょうすけ)さんだけなんです」
 「おとっさんやおっかさんは」
 よし子は少し笑いながら、
 「ないわ」と言った。美禰子の父母の存在を想像するのは滑稽(こっけい)であるといわぬばかりである。よほど早く死んだものとみえる。よし子の記憶にはまるでないのだろう。
 「そういう関係で美禰子さんは広田先生の家(うち)へ出入(でいり)をなさるんですね」
 「ええ。死んだにいさんが広田先生とはたいへん仲良しだったそうです。それに美禰子さんは英語が好きだから、時々英語を習いにいらっしゃるんでしょう」
 「こちらへも来ますか」
 よし子はいつのまにか、水彩画の続きをかき始めた。三四郎がそばにいるのがまるで苦になっていない。それでいて、よく返事をする。
 「美禰子さん?」と聞きながら、柿の木の下にある藁葺(わらぶき)屋根に影をつけたが、
 「少し黒すぎますね」と絵を三四郎の前へ出した。三四郎は今度は正直に、
 「ええ、少し黒すぎます」と答えた。すると、よし子は画筆に水を含ませて、黒い所を洗いながら、
 「いらっしゃいますわ」とようやく三四郎に返事をした。
 「たびたび?」
 「ええたびたび」とよし子は依然として画紙に向かっている。三四郎は、よし子が絵のつづきをかきだしてから、問答がたいへん楽になった。
 しばらく無言のまま、絵のなかをのぞいていると、よし子はたんねんに藁葺屋根の黒い影を洗っていたが、あまり水が多すぎたのと、筆の使い方がなかなか不慣れなので、黒いものがかってに四方へ浮き出して、せっかく赤くできた柿が、陰干の渋柿(しぶがき)のような色になった。よし子は画筆の手を休めて、両手を伸ばして、首をあとへ引いて、ワットマンをなるべく遠くからながめていたが、しまいに、小さな声で、
 「もう駄目ね」と言う。じっさいだめなのだから、しかたがない。三四郎は気の毒になった。
 「もうおよしなさい。そうして、また新しくおかきなさい」
 よし子は顔を絵に向けたまま、しりめに三四郎を見た。大きな潤いのある目である。三四郎はますます気の毒になった。すると女が急に笑いだした。
 「ばかね。二時間ばかり損をして」と言いながら、せっかくかいた水彩の上へ、横縦に二、三本太い棒を引いて、絵の具箱の蓋をぱたりと伏せた。
 「もうよしましょう。座敷へおはいりなさい。お茶をあげますから」と言いながら、自分は上へ上がった。三四郎は靴を脱ぐのが面倒なので、やはり椽側に腰をかけていた。腹の中では、今になって、茶をやるという女を非常におもしろいと思っていた。三四郎に度はずれの女をおもしろがるつもりは少しもないのだが、突然お茶をあげますといわれた時には、一種の愉快を感ぜぬわけにゆかなかったのである。その感じは、どうしても異性に近づいて得られる感じではなかった。
 茶の間で話し声がする。下女はいたに違いない。やがて襖(ふすま)を開いて、茶器を持って、よし子があらわれた。その顔を正面から見た時に、三四郎はまた、女性中のもっとも女性的な顔であると思った。
 よし子は茶をくんで椽側へ出して、自分は座敷の畳の上へすわった。三四郎はもう帰ろうと思っていたが、この女のそばにいると、帰らないでもかまわないような気がする。病院ではかつてこの女の顔をながめすぎて、少し赤面させたために、さっそく引き取ったが、きょうはなんともない。茶を出したのをさいわいに椽側と座敷でまた談話を始めた。いろいろ話しているうちに、よし子は三四郎に妙な事を聞きだした。それは、自分の兄の野々宮が好きかいやかという質問であった。ちょっと聞くとまるでがんぜない子供の言いそうな事であるが、よし子の意味はもう少し深いところにあった。研究心の強い学問好きの人は、万事を研究する気で見るから、情愛が薄くなるわけである。人情で物をみると、すべてが好ききらいの二つになる。研究する気なぞが起こるものではない。自分の兄は理学者だものだから、自分を研究していけない。自分を研究すればするほど、自分を可愛がる度は減るのだから、妹に対して不親切になる。けれども、あのくらい研究好きの兄が、このくらい自分を可愛がってくれるのだから、それを思うと、兄は日本じゅうでいちばんいい人に違いないという結論であった。
 三四郎はこの説を聞いて、大いにもっともなような、またどこか抜けているような気がしたが、さてどこが抜けているんだか、頭がぼんやりして、ちょっとわからなかった。それでおもてむきこの説に対してはべつだんの批評を加えなかった。ただ腹の中で、これしきの女の言う事を、明瞭(めいりょう)に批評しえないのは、男児としてふがいないことだと、いたく赤面した。同時に、東京の女学生はけっしてばかにできないものだということを悟った。
 三四郎はよし子に対する敬愛の念をいだいて下宿へ帰った。はがきが来ている。「明日午後一時ごろから菊人形を見にまいりますから、広田先生の家(うち)までいらっしゃい。美禰子」
 その字が、野々宮さんのポッケットから半分はみ出していた封筒の上書(うわがき)に似ているので、三四郎は何べんも読み直してみた。
 翌日は日曜である。三四郎は昼飯を済ましてすぐ西片町へ来た。新調の制服を着て、光った靴をはいている。静かな横町を広田先生の前まで来ると、人声がする。
 先生の家は門をはいると、左手がすぐ庭で、木戸をあければ玄関へかからずに、座敷の椽へ出られる。三四郎は要目垣(かなめがき)のあいだに見える桟(さん)をはずそうとして、ふと、庭の中の話し声を耳にした。話は野々宮と美禰子のあいだに起こりつつある。
 「そんな事をすれば、地面の上へ落ちて死ぬばかりだ」これは男の声である。
 「死んでも、そのほうがいいと思います」これは女の答である。
 「もっともそんな無謀な人間は、高い所から落ちて死ぬだけの価値は十分ある」
 「残酷な事をおっしゃる」
 三四郎はここで木戸をあけた。庭のまん中に立っていた会話の主は二人(ふたり)ともこっちを見た。野々宮はただ「やあ」と平凡に言って、頭をうなずかせただけである。頭に新しい茶の中折帽(なかおれぼう)をかぶっている。美禰子は、すぐ、
 「はがきはいつごろ着きましたか」と聞いた。二人の今までやっていた会話はこれで中絶した。
 椽側には主人が洋服を着て腰をかけて、相変らず哲学を吹いている。これは西洋の雑誌を手にしていた。そばによし子がいる。両手をうしろに突いて、からだを空に持たせながら、伸ばした足にはいた厚い草履(ぞうり)をながめていた。――三四郎はみんなから待ち受けられていたとみえる。
 主人は雑誌をなげ出した。
 「では行くかな。とうとう引っぱり出された」
 「御苦労さま」と野々宮さんが言った。女は二人で顔を見合わせて、ひとに知れないような笑をもらした。庭を出る時、女が二人つづいた。
 「背が高いのね」と美禰子があとから言った。
 「のっぽ」とよし子が一言(ひとこと)答えた。門の側(わき)で並んだ時、「だから、なりたけ草履をはくの」と弁解をした。三四郎もつづいて庭を出ようとすると、二階の障子ががらりと開いた。与次郎が手欄(てすり)の所まで出てきた。
 「行くのか」と聞く。
 「うん、君は」
 「行かない。菊細工なんぞ見てなんになるものか。ばかだな」
 「いっしょに行こう。家(うち)にいたってしようがないじゃないか」
 「今論文を書いている。大論文を書いている。なかなかそれどころじゃない」
 三四郎はあきれ返ったような笑い方をして、四人のあとを追いかけた。四人は細い横町を三分の二ほど広い通りの方へ遠ざかったところである。この一団の影を高い空気の下に認めた時、三四郎は自分の今の生活が熊本当時のそれよりも、ずっと意味の深いものになりつつあると感じた。かつて考えた三個の世界のうちで、第二第三の世界はまさにこの一団の影で代表されている。影の半分は薄黒い。半分は花野(はなの)のごとく明らかである。そうして三四郎の頭のなかではこの両方が渾然(こんぜん)として調和されている。のみならず、自分もいつのまにか、しぜんとこの経緯(よこたて)のなかに織りこまれている。ただそのうちのどこかにおちつかないところがある。それが不安である。歩きながら考えると、いまさき庭のうちで、野々宮と美禰子が話していた談柄(だんぺい)が近因である。三四郎はこの不安の念を駆(か)るために、二人の談柄をふたたびほじくり出してみたい気がした。
 四人はすでに曲がり角へ来た。四人とも足をとめて、振り返った。美禰子は額に手をかざしている。
 三四郎は一分かからぬうちに追いついた。追いついてもだれもなんとも言わない。ただ歩きだしただけである。しばらくすると、美禰子が、
 「野々宮さんは、理学者だから、なおそんな事をおっしゃるんでしょう」と言いだした。話の続きらしい。
 「なに理学をやらなくっても同じ事です。高く飛ぼうというには、飛べるだけの装置を考えたうえでなければできないにきまっている。頭のほうがさきに要(い)るに違いないじゃありませんか」
 「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかもしれません」
 「我慢しなければ、死ぬばかりですもの」
 「そうすると安全で地面の上に立っているのがいちばんいい事になりますね。なんだかつまらないようだ」
 野々宮さんは返事をやめて、広田先生の方を向いたが、
 「女には詩人が多いですね」と笑いながら言った。すると広田先生が、
 「男子の弊はかえって純粋の詩人になりきれないところにあるだろう」と妙な挨拶(あいさつ)をした。野々宮さんはそれで黙った。よし子と美禰子は何かお互いの話を始める。三四郎はようやく質問の機会を得た。
 「今のは何のお話なんですか」
 「なに空中飛行機の事です」と野々宮さんが無造作に言った。三四郎は落語のおち[#「おち」に傍点]を聞くような気がした。
 それからはべつだんの会話も出なかった。また長い会話ができかねるほど、人がぞろぞろ歩く所へ来た。大観音(おおがんのん)の前に乞食(こじき)がいる。額を地にすりつけて、大きな声をのべつに出して、哀願をたくましゅうしている。時々顔を上げると、額のところだけが砂で白くなっている。だれも顧みるものがない。五人も平気で行き過ぎた。五、六間も来た時に、広田先生が急に振り向いて三四郎に聞いた。
 「君あの乞食に銭をやりましたか」
 「いいえ」と三四郎があとを見ると、例の乞食は、白い額の下で両手を合わせて、相変らず大きな声を出している。
 「やる気にならないわね」とよし子がすぐに言った。
 「なぜ」とよし子の兄は妹を見た。たしなめるほどに強い言葉でもなかった。野々宮の顔つきはむしろ冷静である。
 「ああしじゅうせっついていちゃ、せっつきばえがしないからだめですよ」と美禰子が評した。
 「いえ場所が悪いからだ」と今度は広田先生が言った。「あまり人通りが多すぎるからいけない。山の上の寂しい所で、ああいう男に会ったら、だれでもやる気になるんだよ」
 「その代り一日待っていても、だれも通らないかもしれない」と野々宮はくすくす笑い出した。
 三四郎は四人の乞食に対する批評を聞いて、自分が今日(こんにち)まで養成した徳義上の観念を幾分か傷つけられるような気がした。けれども自分が乞食の前を通る時、一銭も投げてやる了見が起こらなかったのみならず、実をいえば、むしろ不愉快な感じが募った事実を反省してみると、自分よりもこれら四人のほうがかえって己(おのれ)に誠であると思いついた。また彼らは己に誠でありうるほどな広い天地の下に呼吸する都会人種であるということを悟った。
 行くに従って人が多くなる。しばらくすると一人の迷子(まいご)に出会った。七つばかりの女の子である。泣きながら、人の袖(そで)の下を右へ行ったり、左へ行ったりうろうろしている。おばあさん、おばあさんとむやみに言う。これには往来の人もみんな心を動かしているようにみえる。立ちどまる者もある。かあいそうだという者もある。しかしだれも手をつけない。子供はすべての人の注意と同情をひきつつ、しきりに泣きさけんでおばあさんを捜している。不可思議の現象である。
 「これも場所が悪いせいじゃないか」と野々宮君が子供の影を見送りながら言った。
 「いまに巡査が始末をつけるにきまっているから、みんな責任をのがれるんだね」と広田先生が説明した。
 「わたしのそばまで来れば交番まで送ってやるわ」とよし子が言う。
 「じゃ、追っかけて行って、連れて行くがいい」と兄が注意した。
 「追っかけるのはいや」
 「なぜ」
 「なぜって――こんなにおおぜいの人がいるんですもの。私にかぎったことはないわ」
 「やっぱり責任をのがれるんだ」と広田が言う。
 「やっぱり場所が悪いんだ」と野々宮が言う。男は二人で笑った。団子坂の上まで来ると、交番の前へ人が黒山のようにたかっている。迷子はとうとう巡査の手に渡ったのである。
 「もう安心大丈夫(だいじょうぶ)です」と美禰子が、よし子を顧みて言った。よし子は「まあよかった」という。
 坂の上から見ると、坂は曲がっている。刀の切っ先のようである。幅はむろん狭い。右側の二階建が左側の高い小屋の前を半分さえぎっている。そのうしろにはまた高い幟(のぼり)が何本となく立ててある。人は急に谷底へ落ち込むように思われる。その落ち込むものが、はい上がるものと入り乱れて、道いっぱいにふさがっているから、谷の底にあたる所は幅をつくして異様に動く。見ていると目が疲れるほど不規則にうごめいている。広田先生はこの坂の上に立って、
 「これはたいへんだ」と、さも帰りたそうである。四人はあとから先生を押すようにして、谷へはいった。その谷が途中からだらだらと向こうへ回り込む所に、右にも左にも、大きな葭簀掛(よしずが)けの小屋を、狭い両側から高く構えたので、空さえ存外窮屈にみえる。往来は暗くなるまで込み合っている。そのなかで木戸番ができるだけ大きな声を出す。「人間から出る声じゃない。菊人形から出る声だ」と広田先生が評した。それほど彼らの声は尋常を離れている。
 一行は左の小屋へはいった。曾我(そが)の討入(うちいり)がある。五郎も十郎も頼朝(よりとも)もみな平等に菊の着物を着ている。ただし顔や手足はことごとく木彫りである。その次は雪が降っている。若い女が癪(しゃく)を起こしている。これも人形の心(しん)に、菊をいちめんにはわせて、花と葉が平に隙間(すきま)なく衣装の恰好(かっこう)となるように作ったものである。
 よし子は余念なくながめている。広田先生と野々宮はしきりに話を始めた。菊の培養法が違うとかなんとかいうところで、三四郎は、ほかの見物に隔てられて、一間ばかり離れた。美禰子はもう三四郎より先にいる。見物は、がいして町家(ちょうか)の者である。教育のありそうな者はきわめて少ない。美禰子はその間に立って振り返った。首を延ばして、野々宮のいる方を見た。野々宮は右の手を竹の手欄(てすり)から出して、菊の根をさしながら、何か熱心に説明している。美禰子はまた向こうをむいた。見物に押されて、さっさと出口の方へ行く。三四郎は群集(ぐんしゅう)を押し分けながら、三人を棄てて、美禰子のあとを追って行った。
 ようやくのことで、美禰子のそばまで来て、
 「里見さん」と呼んだ時に、美禰子は青竹(あおだけ)の手欄(てすり)に手を突いて、心持ち首をもどして、三四郎を見た。なんとも言わない。手欄のなかは養老の滝である。丸い顔の、腰に斧(おの)をさした男が、瓢箪(ひょうたん)を持って、滝壺のそばにかがんでいる。三四郎が美禰子の顔を見た時には、青竹のなかに何があるかほとんど気がつかなかった。
 「どうかしましたか」と思わず言った。美禰子はまだなんとも答えない。黒い目をさもものうそうに三四郎の額の上にすえた。その時三四郎は美禰子の二重瞼(ふたえまぶた)に不可思議なある意味を認めた。その意味のうちには、霊の疲れがある。肉のゆるみがある。苦痛に近き訴えがある。三四郎は、美禰子の答を予期しつつある今の場合を忘れて、この眸(ひとみ)とこの瞼(まぶた)の間にすべてを遺却(いきゃく)した。すると、美禰子は言った。
 「もう出ましょう」
 眸と瞼の距離が次第に近づくようにみえた。近づくに従って三四郎の心には女のために出なければすまない気がきざしてきた。それが頂点に達したころ、女は首を投げるように向こうをむいた。手を青竹の手欄(てすり)から離して、出口の方へ歩いて行く。三四郎はすぐあとからついて出た。
 二人が表で並んだ時、美禰子はうつむいて右の手を額に当てた。周囲は人が渦(うず)を巻いている。三四郎は女の耳へ口を寄せた。
 「どうかしましたか」
 女は人込みの中を谷中(やなか)の方へ歩きだした。三四郎もむろんいっしょに歩きだした。半町ばかり来た時、女は人の中で留まった。
 「ここはどこでしょう」
 「こっちへ行くと谷中の天王寺(てんのうじ)の方へ出てしまいます。帰り道とはまるで反対です」
 「そう。私心持ちが悪くって……」
 三四郎は往来のまん中で助けなき苦痛を感じた。立って考えていた。
 「どこか静かな所はないでしょうか」と女が聞いた。
 谷中と千駄木が谷で出会うと、いちばん低い所に小川が流れている。この小川を沿うて、町を左へ切れるとすぐ野に出る。川はまっすぐに北へ通(かよ)っている。三四郎は東京へ来てから何べんもこの小川の向こう側を歩いて、何べんこっち側を歩いたかよく覚えている。美禰子の立っている所は、この小川が、ちょうど谷中の町を横切って根津(ねづ)へ抜ける石橋のそばである。
 「もう一町ばかり歩けますか」と美禰子に聞いてみた。
 「歩きます」
 二人はすぐ石橋を渡って、左へ折れた。人の家の路地のような所を十間ほど行き尽して、門の手前から板橋をこちら側へ渡り返して、しばらく川の縁を上ると、もう人は通らない。広い野である。
 三四郎はこの静かな秋のなかへ出たら、急にしゃべり出した。
 「どうです、ぐあいは。頭痛でもしますか。あんまり人がおおぜい、いたせいでしょう。あの人形を見ている連中のうちにはずいぶん下等なのがいたようだから――なにか失礼でもしましたか」
 女は黙っている。やがて川の流れから目を上げて、三四郎を見た。二重瞼にはっきりと張りがあった。三四郎はその目つきでなかば安心した。
 「ありがとう。だいぶよくなりました」と言う。
 「休みましょうか」
 「ええ」
 「もう少し歩けますか」
 「ええ」
 「歩ければ、もう少しお歩きなさい。ここはきたない。あすこまで行くと、ちょうど休むにいい場所があるから」
 「ええ」
 一丁ばかり来た。また橋がある。一尺に足らない古板を造作なく渡した上を、三四郎は大またに歩いた。女もつづいて通った。待ち合わせた三四郎の目には、女の足が常の大地を踏むと同じように軽くみえた。この女はすなおな足をまっすぐに前へ運ぶ。わざと女らしく甘えた歩き方をしない。したがってむやみにこっちから手を貸すわけにはいかない。
 向こうに藁(わら)屋根がある。屋根の下が一面に赤い。近寄って見ると、唐辛子(とうがらし)を干したのであった。女はこの赤いものが、唐辛子であると見分けのつくところまで来て留まった。
 「美しいこと」と言いながら、草の上に腰をおろした。草は小川の縁にわずかな幅をはえているのみである。それすら夏の半ばのように青くはない。美禰子は派手(はで)な着物のよごれるのをまるで苦にしていない。
 「もう少し歩けませんか」と三四郎は立ちながら、促すように言ってみた。
 「ありがとう。これでたくさん」
 「やっぱり心持ちが悪いですか」
 「あんまり疲れたから」
 三四郎もとうとうきたない草の上にすわった。美禰子と三四郎の間は四尺ばかり離れている。二人の足の下には小さな川が流れている。秋になって水が落ちたから浅い。角の出た石の上に鶺鴒(せきれい)が一羽とまったくらいである。三四郎は水の中をながめていた。水が次第に濁ってくる。見ると川上で百姓が大根を洗っていた。美禰子の視線は遠くの向こうにある。向こうは広い畑で、畑の先が森で森の上が空になる。空の色がだんだん変ってくる。
 ただ単調に澄んでいたもののうちに、色が幾通りもできてきた。透き通る藍(あい)の地(じ)が消えるように次第に薄くなる。その上に白い雲が鈍く重なりかかる。重なったものが溶けて流れ出す。どこで地が尽きて、どこで雲が始まるかわからないほどにものうい上を、心持ち黄な色がふうと一面にかかっている。
 「空の色が濁りました」と美禰子が言った。
 三四郎は流れから目を放して、上を見た。こういう空の模様を見たのははじめてではない。けれども空が濁ったという言葉を聞いたのはこの時がはじめてである。気がついて見ると、濁ったと形容するよりほかに形容のしかたのない色であった。三四郎が何か答えようとするまえに、女はまた言った。
 「重いこと。大理石(マーブル)のように見えます」
 美禰子は二重瞼を細くして高い所をながめていた。それから、その細くなったままの目を静かに三四郎の方に向けた。そうして、
 「大理石のように見えるでしょう」と聞いた。三四郎は、
 「ええ、大理石のように見えます」と答えるよりほかはなかった。女はそれで黙った。しばらくしてから、今度は三四郎が言った。
 「こういう空の下にいると、心が重くなるが気は軽くなる」
 「どういうわけですか」と美禰子が問い返した。
 三四郎には、どういうわけもなかった。返事はせずに、またこう言った。
 「安心して夢を見ているような空模様だ」
 「動くようで、なかなか動きませんね」と美禰子はまた遠くの雲をながめだした。
 菊人形で客を呼ぶ声が、おりおり二人のすわっている所まで聞こえる。
 「ずいぶん大きな声ね」
 「朝から晩までああいう声を出しているんでしょうか。えらいもんだな」と言ったが、三四郎は急に置き去りにした三人のことを思い出した。何か言おうとしているうちに、美禰子は答えた。
 「商売ですもの、ちょうど大観音の乞食と同じ事なんですよ」
 「場所が悪くはないですか」
 三四郎は珍しく冗談を言って、そうして一人でおもしろそうに笑った。乞食について下した広田の言葉をよほどおかしく受けたからである。
 「広田先生は、よく、ああいう事をおっしゃるかたなんですよ」ときわめて軽くひとりごとのように言ったあとで、急に調子をかえて、
 「こういう所に、こうしてすわっていたら、大丈夫及第よ」と比較的活発につけ加えた。そうして、今度は自分のほうでおもしろそうに笑った。
 「なるほど野々宮さんの言ったとおり、いつまで待っていてもだれも通りそうもありませんね」
 「ちょうどいいじゃありませんか」と早口に言ったが、あとで「おもらいをしない乞食なんだから」と結んだ。これは前句の解釈のためにつけたように聞こえた。
 ところへ知らん人が突然あらわれた。唐辛子の干してある家の陰から出て、いつのまにか川を向こうへ渡ったものとみえる。二人のすわっている方へだんだん近づいて来る。洋服を着て髯(ひげ)をはやして、年輩からいうと広田先生くらいな男である。この男が二人の前へ来た時、顔をぐるりと向け直して、正面から三四郎と美禰子をにらめつけた。その目のうちには明らかに憎悪(ぞうお)の色がある。三四郎はじっとすわっていにくいほどな束縛を感じた。男はやがて行き過ぎた。その後影を見送りながら、三四郎は、
 「広田先生や野々宮さんはさぞあとでぼくらを捜したでしょう」とはじめて気がついたように言った。美禰子はむしろ冷やかである。
 「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」
 「迷子だから捜したでしょう」と三四郎はやはり前説を主張した。すると美禰子は、なお冷やかな調子で、
 「責任をのがれたがる人だから、ちょうどいいでしょう」
 「だれが? 広田先生がですか」
 美禰子は答えなかった。
 「野々宮さんがですか」
 美禰子はやっぱり答えなかった。
 「もう気分はよくなりましたか。よくなったら、そろそろ帰りましょうか」
 美禰子は三四郎を見た。三四郎は上げかけた腰をまた草の上におろした。その時三四郎はこの女にはとてもかなわないような気がどこかでした。同時に自分の腹を見抜かれたという自覚に伴なう一種の屈辱をかすかに感じた。
 「迷子」
 女は三四郎を見たままでこの一言(ひとこと)を繰り返した。三四郎は答えなかった。
 「迷子の英訳を知っていらしって」
 三四郎は知るとも、知らぬとも言いえぬほどに、この問を予期していなかった。
 「教えてあげましょうか」
 「ええ」
 「迷える子(ストレイ・シープ)――わかって?」
 三四郎はこういう場合になると挨拶(あいさつ)に困る男である。咄嗟(とっさ)の機が過ぎて、頭が冷やかに働きだした時、過去を顧みて、ああ言えばよかった、こうすればよかったと後悔する。といって、この後悔を予期して、むりに応急の返事を、さもしぜんらしく得意に吐き散らすほどに軽薄ではなかった。だからただ黙っている。そうして黙っていることがいかにも半間(はんま)であると自覚している。
 迷える子(ストレイ・シープ)という言葉はわかったようでもある。またわからないようでもある。わかるわからないはこの言葉の意味よりも、むしろこの言葉を使った女の意味である。三四郎はいたずらに女の顔をながめて黙っていた。すると女は急にまじめになった。
 「私そんなに生意気に見えますか」
 その調子には弁解の心持ちがある。三四郎は意外の感に打たれた。今までは霧の中にいた。霧が晴れればいいと思っていた。この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た。晴れたのが恨めしい気がする。
 三四郎は美禰子の態度をもとのような、――二人の頭の上に広がっている、澄むとも濁るとも片づかない空のような、――意味のあるものにしたかった。けれども、それは女のきげんを取るための挨拶ぐらいで戻(もど)せるものではないと思った。女は卒然として、
 「じゃ、もう帰りましょう」と言った。厭味(いやみ)のある言い方ではなかった。ただ三四郎にとって自分は興味のないものとあきらめるように静かな口調(くちょう)であった。
 空はまた変ってきた。風が遠くから吹いてくる。広い畑の上には日が限って、見ていると、寒いほど寂しい。草からあがる地息(じいき)でからだは冷えていた。気がつけば、こんな所に、よく今までべっとりすわっていられたものだと思う。自分一人なら、とうにどこかへ行ってしまったに違いない。美禰子も――美禰子はこんな所へすわる女かもしれない。
 「少し寒くなったようですから、とにかく立ちましょう。冷えると毒だ。しかし気分はもうすっかり直りましたか」
 「ええ、すっかり直りました」と明らかに答えたが、にわかに立ち上がった。立ち上がる時、小さな声で、ひとりごとのように、
 「迷える子(ストレイ・シープ)」と長く引っ張って言った。三四郎はむろん答えなかった。
 美禰子は、さっき洋服を着た男の出て来た方角をさして、道があるなら、あの唐辛子のそばを通って行きたいという。二人は、その見当へ歩いて行った。藁葺(わらぶき)のうしろにはたして細い三尺ほどの道があった。その道を半分ほど来た所で三四郎は聞いた。
 「よし子さんは、あなたの所へ来ることにきまったんですか」
 女は片頬(かたほお)で笑った。そうして問い返した。
 「なぜお聞きになるの」
 三四郎が何か言おうとすると、足の前に泥濘(ぬかるみ)があった。四尺ばかりの所、土がへこんで水がぴたぴたにたまっている。そのまん中に足掛かりのためにてごろな石を置いた者がある。三四郎は石の助けをからずに、すぐに向こうへ飛んだ。そうして美禰子を振り返って見た。美禰子は右の足を泥濘のまん中にある石の上へ乗せた。石のすわりがあまりよくない。足へ力を入れて、肩をゆすって調子を取っている。三四郎はこちら側から手を出した。
 「おつかまりなさい」
 「いえ大丈夫」と女は笑っている。手を出しているあいだは、調子を取るだけで渡らない。三四郎は手を引っ込めた。すると美禰子は石の上にある右の足に、からだの重みを託して、左の足でひらりとこちら側へ渡った。あまりに下駄(げた)をよごすまいと念を入れすぎたため、力が余って、腰が浮いた。のめりそうに胸が前へ出る。その勢で美禰子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた。
 「迷える子(ストレイ・シープ)」と美禰子が口の内で言った。三四郎はその呼吸(いき)を感ずることができた。

       六

 ベルが鳴って、講師は教室から出ていった。三四郎はインキの着いたペンを振って、ノートを伏せようとした。すると隣にいた与次郎が声をかけた。
 「おいちょっと借せ。書き落としたところがある」
 与次郎は三四郎のノートを引き寄せて上からのぞきこんだ。stray(ストレイ) sheep(シープ)という字がむやみに書いてある。
 「なんだこれは」
 「講義を筆記するのがいやになったから、いたずらを書いていた」
 「そう不勉強ではいかん。カントの超絶唯心論がバークレーの超絶実在論にどうだとか言ったな」
 「どうだとか言った」
 「聞いていなかったのか」
 「いいや」
 「まるでstray(ストレイ) sheep(シープ)だ。しかたがない」
 与次郎は自分のノートをかかえて立ち上がった。机の前を離れながら、三四郎に、
 「おいちょっと来い」と言う。三四郎は与次郎について教室を出た。梯子段(はしごだん)を降りて、玄関前の草原へ来た。大きな桜がある。二人(ふたり)はその下にすわった。
 ここは夏の初めになると苜蓿(うまごやし)が一面にはえる。与次郎が入学願書を持って事務へ来た時に、この桜の下に二人の学生が寝転んでいた。その一人(ひとり)が一人に向かって、口答試験を都々逸(どどいつ)で負けておいてくれると、いくらでも歌ってみせるがなと言うと、一人が小声で、粋(すい)なさばきの博士の前で、恋の試験がしてみたいと歌っていた。その時から与次郎はこの桜の木の下が好きになって、なにか事があると、三四郎をここへ引っ張り出す。三四郎はその歴史を与次郎から聞いた時に、なるほど与次郎は俗謡でpity's(ピチーズ) love(ラッブ)を訳すはずだと思った。きょうはしかし与次郎がことのほかまじめである。草の上にあぐらをかくやいなや、懐中から、文芸時評という雑誌を出してあけたままの一ページを逆(さか)に三四郎の方へ向けた。
 「どうだ」と言う。見ると標題に大きな活字で「偉大なる暗闇(くらやみ)」とある。下には零余子(れいよし)と雅号を使っている。偉大なる暗闇とは与次郎がいつでも広田先生を評する語で、三四郎も二、三度聞かされたものである。しかし零余子はまったく知らん名である。どうだと言われた時に、三四郎は、返事をする前提としてひとまず与次郎の顔を見た。すると与次郎はなんにも言わずにその扁平(へんぺい)な顔を前へ出して、右の人さし指の先で、自分の鼻の頭を押えてじっとしている。向こうに立っていた一人の学生が、この様子を見てにやにや笑い出した。それに気がついた与次郎はようやく指を鼻から放した。
 「おれが書いたんだ」と言う。三四郎はなるほどそうかと悟った。
 「ぼくらが菊細工を見にゆく時書いていたのは、これか」
 「いや、ありゃ、たった二(に)、三日(さんち)まえじゃないか。そうはやく活版になってたまるものか。あれは来月出る。これは、ずっと前に書いたものだ。何を書いたものか標題でわかるだろう」
 「広田先生の事か」
 「うん。こうして輿論(よろん)を喚起しておいてね。そうして、先生が大学へはいれる下地(したじ)を作る……」
 「その雑誌はそんなに勢力のある雑誌か」
 三四郎は雑誌の名前さえ知らなかった。
 「いや無勢力だから、じつは困る」と与次郎は答えた。三四郎は微笑(わら)わざるをえなかった。
 「何部ぐらい売れるのか」
 与次郎は何部売れるとも言わない。
 「まあいいさ。書かんよりはましだ」と弁解している。
 だんだん聞いてみると、与次郎は従来からこの雑誌に関係があって、ひまさえあればほとんど毎号筆を執っているが、その代り雅名も毎号変えるから、二、三の同人のほか、だれも知らないんだと言う。なるほどそうだろう。三四郎は今はじめて与次郎と文壇との交渉を聞いたくらいのものである。しかし与次郎がなんのために、遊戯(いたずら)に等しい匿名(とくめい)を用いて、彼のいわゆる大論文をひそかに公けにしつつあるか、そこが三四郎にはわからなかった。
 いくぶんか小遣い取りのつもりで、やっている仕事かと不遠慮に尋ねた時、与次郎は目を丸くした。
 「君は九州のいなかから出たばかりだから、中央文壇の趨勢(すうせい)を知らないために、そんなのん気なことをいうのだろう。今の思想界の中心にいて、その動揺のはげしいありさまを目撃しながら、考えのある者が知らん顔をしていられるものか。じっさい今日(こんにち)の文権はまったく我々青年の手にあるんだから、一言(いちごん)でも半句でも進んで言えるだけ言わなけりゃ損じゃないか。文壇は急転直下の勢いでめざましい革命を受けている。すべてがことごとく動いて、新気運に向かってゆくんだから、取り残されちゃたいへんだ。進んで自分からこの気運をこしらえ上げなくちゃ、生きてる甲斐(かい)はない。文学文学って安っぽいようにいうが、そりゃ大学なんかで聞く文学のことだ。新しい我々のいわゆる文学は、人生そのものの大反射だ。文学の新気運は日本全社会の活動に影響しなければならない。また現にしつつある。彼らが昼寝をして夢を見ているまに、いつか影響しつつある。恐ろしいものだ。……」
 三四郎は黙って聞いていた。少しほらのような気がする。しかしほらでも与次郎はなかなか熱心に吹いている。すくなくとも当人だけは至極まじめらしくみえる。三四郎はだいぶ動かされた。
 「そういう精神でやっているのか。では君は原稿料なんか、どうでもかまわんのだったな」
 「いや、原稿料は取るよ。取れるだけ取る。しかし雑誌が売れないからなかなかよこさない。どうかして、もう少し売れる工夫(くふう)をしないといけない。何かいい趣向はないだろうか」と今度は三四郎に相談をかけた。話が急に実際問題に落ちてしまった。三四郎は妙な心持ちがする。与次郎は平気である。ベルが激しく鳴りだした。
 「ともかくこの雑誌を一部君にやるから読んでみてくれ。偉大なる暗闇という題がおもしろいだろう。この題なら人が驚くにきまっている。――驚かせないと読まないからだめだ」
 二人は玄関を上がって、教室へはいって、机に着いた。やがて先生が来る。二人とも筆記を始めた。三四郎は「偉大なる暗闇」が気にかかるので、ノートのそばに文芸時評をあけたまま、筆記のあいまあいまに先生に知れないように読みだした。先生はさいわい近眼である。のみならず自己の講義のうちにぜんぜん埋没している。三四郎の不心得にはまるで関係しない。三四郎はいい気になって、こっちを筆記したり、あっちを読んだりしていったが、もともと二人でする事を一人で兼ねるむりな芸だからしまいには「偉大なる暗闇」も講義の筆記も双方(そうほう)ともに関係がわからなくなった。ただ与次郎の文章が一句だけはっきり頭にはいった。
 「自然は宝石を作るに幾年の星霜を費やしたか。またこの宝石が採掘の運にあうまでに、幾年の星霜を静かに輝やいていたか」という句である。その他は不得要領に終った。その代りこの時間にはstray(ストレイ) sheep(シープ)という字を一つも書かずにすんだ。
 講義が終るやいなや、与次郎は三四郎に向かって、
 「どうだ」と聞いた。じつはまだよく読まないと答えると、時間の経済を知らない男だといって非難した。ぜひ読めという。三四郎は家へ帰ってぜひ読むと約束した。やがて昼になった。二人は連れ立って門を出た。
 「今晩出席するだろうな」と与次郎が西片町へはいる横町の角で立ち留まった。今夜は同級生の懇親会がある。三四郎は忘れていた。ようやく思い出して、行くつもりだと答えると、与次郎は、
 「出るまえにちょっと誘ってくれ。君に話す事がある」と言う。耳のうしろへペン軸(じく)をはさんでいる。なんとなく得意である。三四郎は承知した。
 下宿へ帰って、湯にはいって、いい心持ちになって上がってみると、机の上に絵はがきがある。小川をかいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛(どうもう)にできている。まったく西洋の絵にある悪魔(デビル)を模したもので、念のため、わきにちゃんとデビルと仮名(かな)が振ってある。表は三四郎の宛名(あてな)の下に、迷える子と小さく書いたばかりである。三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。のみならず、はがきの裏に、迷える子を二匹書いて、その一匹をあんに自分に見立ててくれたのをはなはだうれしく思った。迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとよりはいっていたのである。それが美禰子のおもわくであったとみえる。美禰子の使ったstray(ストレイ) sheep(シープ)の意味がこれでようやくはっきりした。
 与次郎に約束した「偉大なる暗闇」を読もうと思うが、ちょっと読む気にならない。しきりに絵はがきをながめて考えた。イソップにもないような滑稽(こっけい)趣味がある。無邪気にもみえる。洒落(しゃらく)でもある。そうしてすべての下に、三四郎の心を動かすあるものがある。
 手ぎわからいっても敬服の至りである。諸事明瞭にでき上がっている。よし子のかいた柿の木の比ではない。――と三四郎には思われた。
 しばらくしてから、三四郎はようやく「偉大なる暗闇」を読みだした。じつはふわふわして読みだしたのであるが、二、三ページくると、次第に釣り込まれるように気が乗ってきて、知らず知らずのまに、五ページ六ページと進んで、ついに二十七ページの長論文を苦もなく片づけた。最後の一句を読了した時、はじめてこれでしまいだなと気がついた。目を雑誌から離して、ああ読んだなと思った。
 しかし次の瞬間に、何を読んだかと考えてみると、なんにもない。おかしいくらいなんにもない。ただ大いにかつ盛んに読んだ気がする。三四郎は与次郎の技倆(ぎりょう)に感服した。
 論文は現今の文学者の攻撃に始まって、広田先生の賛辞に終っている。ことに文学文科の西洋人を手痛く罵倒(ばとう)している。はやく適当の日本人を招聘(しょうへい)して、大学相当の講義を開かなくっては、学問の最高府たる大学も昔の寺子屋同然のありさまになって、煉瓦石(れんがせき)のミイラと選ぶところがないようになる。もっとも人がなければしかたがないが、ここに広田先生がある。先生は十年一日のごとく高等学校に教鞭(きょうべん)を執って薄給と無名に甘んじている。しかし真正の学者である。学海の新気運に貢献して、日本の活社会と交渉のある教授を担任すべき人物である。――せんじ詰めるとこれだけであるが、そのこれだけが、非常にもっともらしい口吻(こうふん)と燦爛(さんらん)たる警句とによって前後二十七ページに延長している。
 その中には「禿(はげ)を自慢するものは老人に限る」とか「ヴィーナスは波から生まれたが、活眼の士は大学から生まれない」とか「博士を学界の名産と心得るのは、海月(くらげ)を田子(たご)の浦(うら)の名産と考えるようなものだ」とかいろいろおもしろい句がたくさんある。しかしそれよりほかになんにもない。ことに妙なのは、広田先生を偉大なる暗闇にたとえたついでに、ほかの学者を丸行燈(まるあんどん)に比較して、たかだか方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすにすぎないなどと、自分が広田から言われたとおりを書いている。そうして、丸行燈だの雁首(がんくび)などはすべて旧時代の遺物で我々青年にはまったく無用であると、このあいだのとおりわざわざ断わってある。
 よく考えてみると、与次郎の論文には活気がある。いかにも自分一人で新日本を代表しているようであるから、読んでいるうちは、ついその気になる。けれどもまったく実(み)がない。根拠地のない戦争のようなものである。のみならず悪く解釈すると、政略的の意味もあるかもしれない書き方である。いなか者の三四郎にはてっきりそこと気取(けど)ることはできなかったが、ただ読んだあとで、自分の心を探ってみてどこかに不満足があるように覚えた。また美禰子の絵はがきを取って、二匹の羊と例の悪魔(デビル)をながめだした。するとこっちのほうは万事が快感である。この快感につれてまえの不満足はますます著しくなった。それで論文の事はそれぎり考えなくなった。美禰子に返事をやろうと思う。不幸にして絵がかけない。文章にしようと思う。文章ならこの絵はがきに匹敵する文句でなくってはいけない。それは容易に思いつけない。ぐずぐずしているうちに四時過ぎになった。
 袴(はかま)を着けて、与次郎を誘いに、西片町へ行く。勝手口からはいると、茶の間に、広田先生が小さな食卓を控えて、晩食(ばんめし)を食っていた。そばに与次郎がかしこまってお給仕をしている。
 「先生どうですか」と聞いている。
 先生は何か堅いものをほおばったらしい。食卓の上を見ると、袂(たもと)時計ほどな大きさの、赤くって黒くって、焦げたものが十(とお)ばかり皿(さら)の中に並んでいる。
 三四郎は座に着いた。礼をする。先生は口をもがもがさせる。
 「おい君も一つ食ってみろ」と与次郎が箸(はし)で皿のものをつまんで出した。掌(てのひら)へ載せてみると、馬鹿貝(ばかがい)の剥身(むきみ)の干したのをつけ焼にしたのである。
 「妙なものを食うな」と聞くと、
 「妙なものって、うまいぜ食ってみろ。これはね、ぼくがわざわざ先生にみやげに買ってきたんだ。先生はまだ、これを食ったことがないとおっしゃる」
 「どこから」
 「日本橋から」
 三四郎はおかしくなった。こういうところになると、さっきの論文の調子とは少し違う。
 「先生、どうです」
 「堅いね」
 「堅いけれどもうまいでしょう。よくかまなくっちゃいけません。かむと味が出る」
 「味が出るまでかんでいちゃ、歯が疲れてしまう。なんでこんな古風なものを買ってきたものかな」
 「いけませんか。こりゃ、ことによると先生にはだめかもしれない。里見の美禰子さんならいいだろう」
 「なぜ」と三四郎が聞いた。
 「ああおちついていりゃ味の出るまできっとかんでるに違いない」
 「あの女はおちついていて、乱暴だ」と広田が言った。
 「ええ乱暴です。イブセンの女のようなところがある」
 「イブセンの女は露骨(ろこつ)だが、あの女は心(しん)が乱暴だ。もっとも乱暴といっても、普通の乱暴とは意味が違うが。野々宮の妹のほうが、ちょっと見ると乱暴のようで、やっぱり女らしい。妙なものだね」
 「里見のは乱暴の内訌(ないこう)ですか」
 三四郎は黙って二人の批評を聞いていた。どっちの批評もふにおちない。乱暴という言葉が、どうして美禰子の上に使えるか、それからが第一不思議であった。
 与次郎はやがて、袴をはいて、改まって出て来て、
 「ちょっと行ってまいります」と言う。先生は黙って茶を飲んでいる。二人は表へ出た。表はもう暗い。門を離れて二、三間来ると、三四郎はすぐ話しかけた。
 「先生は里見のお嬢さんを乱暴だと言ったね」
 「うん。先生はかってな事をいう人だから、時と場合によるとなんでも言う。第一先生が女を評するのが滑稽だ。先生の女における知識はおそらく零だろう。ラッブをしたことがないものに女がわかるものか」
 「先生はそれでいいとして、君は先生の説に賛成したじゃないか」
 「うん乱暴だと言った。なぜ」
 「どういうところを乱暴というのか」
 「どういうところも、こういうところもありゃしない。現代の女性(にょしょう)はみんな乱暴にきまっている。あの女ばかりじゃない」
 「君はあの人をイブセンの人物に似ていると言ったじゃないか」
 「言った」
 「イブセンのだれに似ているつもりなのか」
 「だれって……似ているよ」
 三四郎はむろん納得(なっとく)しない。しかし追窮もしない。黙って一間ばかり歩いた。すると突然与次郎がこう言った。
 「イブセンの人物に似ているのは里見のお嬢さんばかりじゃない。今の一般の女性(にょしょう)はみんな似ている。女性ばかりじゃない。いやしくも新しい空気に触れた男はみんなイブセンの人物に似たところがある。ただ男も女もイブセンのように自由行動を取らないだけだ。腹のなかではたいていかぶれている」
 「ぼくはあんまり、かぶれていない」
 「いないとみずから欺いているのだ。――どんな社会だって陥欠(かんけつ)のない社会はあるまい」
 「それはないだろう」
 「ないとすれば、そのなかに生息している動物はどこかに不足を感じるわけだ。イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠をもっとも明らかに感じたものだ。我々もおいおいああなってくる」
 「君はそう思うか」
 「ぼくばかりじゃない。具眼(ぐがん)の士はみんなそう思っている」
 「君の家(うち)の先生もそんな考えか」
 「うちの先生? 先生はわからない」
 「だって、さっき里見さんを評して、おちついていて乱暴だと言ったじゃないか。それを解釈してみると、周囲に調和していけるから、おちついていられるので、どこかに不足があるから、底のほうが乱暴だという意味じゃないのか」
 「なるほど。――先生は偉いところがあるよ。ああいうところへゆくとやっぱり偉い」
 と与次郎は急に広田先生をほめだした。三四郎は美禰子の性格についてもう少し議論の歩を進めたかったのだが、与次郎のこの一言でまったくはぐらかされてしまった。すると与次郎が言った。
 「じつはきょう君に用があると言ったのはね。――うん、それよりまえに、君あの偉大なる暗闇を読んだか。あれを読んでおかないとぼくの用事が頭へはいりにくい」
 「きょうあれから家へ帰って読んだ」
 「どうだ」
 「先生はなんと言った」
 「先生は読むものかね。まるで知りゃしない」
 「そうさな。おもしろいことはおもしろいが、――なんだか腹のたしにならないビールを飲んだようだね」
 「それでたくさんだ。読んで景気がつきさえすればいい。だから匿名にしてある。どうせ今は準備時代だ。こうしておいて、ちょうどいい時分に、本名を名乗って出る。――それはそれとして、さっきの用事を話しておこう」
 与次郎の用事というのはこうである。――今夜の会で自分たちの科の不振の事をしきりに慨嘆するから、三四郎もいっしょに慨嘆しなくってはいけないんだそうだ。不振は事実であるからほかの者も慨嘆するにきまっている。それから、おおぜいいっしょに挽回策(ばんかいさく)を講ずることとなる。なにしろ適当な日本人を一人大学に入れるのが急務だと言い出す。みんなが賛成する。当然だから賛成するのはむろんだ。次にだれがよかろうという相談に移る。その時広田先生の名を持ち出す。その時三四郎は与次郎に口を添えて極力先生を賞賛しろという話である。そうしないと、与次郎が広田の食客(いそうろう)だということを知っている者が疑いを起こさないともかぎらない。自分は現に食客なんだから、どう思われてもかまわないが、万一煩(わずら)いが広田先生に及ぶようではすまんことになる。もっともほかに同志が三、四人はいるから、大丈夫だが、一人でも味方は多いほうが便利だから、三四郎もなるべくしゃべるにしくはないとの意見である。さていよいよ衆議一決の暁は、総代を選んで学長の所へ行く、また総長の所へ行く。もっとも今夜中にそこまでは運ばないかもしれない。また運ぶ必要もない。そのへんは臨機応変である。……
 与次郎はすこぶる能弁である。惜しいことにその能弁がつるつるしているので重みがない。あるところへゆくと冗談をまじめに講義しているかと疑われる。けれども本来が性質(たち)のいい運動だから、三四郎もだいたいのうえにおいて賛成の意を表した。ただその方法が少しく細工(さいく)に落ちておもしろくないと言った。その時与次郎は往来のまん中へ立ち留まった。二人はちょうど森川町(もりかわちょう)の神社の鳥居(とりい)の前にいる。
 「細工に落ちるというが、ぼくのやる事は自然の手順が狂わないようにあらかじめ人力(じんりょく)で装置するだけだ。自然にそむいた没分暁(ぼつぶんぎょう)の事を企てるのとは質(たち)が違う。細工だってかまわん。細工が悪いのではない。悪い細工が悪いのだ」
 三四郎はぐうの音(ね)も出なかった。なんだか文句があるようだけれども、口へ出てこない。与次郎の言いぐさのうちで、自分がまだ考えていなかった部分だけがはっきり頭へ映っている。三四郎はむしろそのほうに感服した。
 「それもそうだ」とすこぶる曖昧(あいまい)な返事をして、また肩を並べて歩きだした。正門をはいると、急に目の前が広くなる。大きな建物が所々に黒く立っている。その屋根がはっきり尽きる所から明らかな空になる。星がおびただしく多い。
 「美しい空だ」と三四郎が言った。与次郎も空を見ながら、一間ばかり歩いた。突然、
 「おい、君」と三四郎を呼んだ。三四郎はまたさっきの話の続きかと思って「なんだ」と答えた。
 「君、こういう空を見てどんな感じを起こす」
 与次郎に似合わぬことを言った。無限とか永久とかいう持ち合わせの答はいくらでもあるが、そんなことを言うと与次郎に笑われると思って三四郎は黙っていた。
 「つまらんなあ我々は。あしたから、こんな運動をするのはもうやめにしようかしら。偉大なる暗闇を書いてもなんの役にも立ちそうにもない」
 「なぜ急にそんな事を言いだしたのか」
 「この空を見ると、そういう考えになる。――君、女にほれたことがあるか」
 三四郎は即答ができなかった。
 「女は恐ろしいものだよ」と与次郎が言った。
 「恐ろしいものだ、ぼくも知っている」と三四郎も言った。すると与次郎が大きな声で笑いだした。静かな夜の中でたいへん高く聞こえる。
 「知りもしないくせに。知りもしないくせに」
 三四郎は憮然(ぶぜん)としていた。
 「あすもよい天気だ。運動会はしあわせだ。きれいな女がたくさん来る。ぜひ見にくるがいい」
 暗い中を二人は学生集会所の前まで来た。中には電燈が輝いている。
 木造の廊下を回って、部屋(へや)へはいると、そうそう来た者は、もうかたまっている。そのかたまりが大きいのと小さいのと合わせて三つほどある。なかには無言で備え付けの雑誌や新聞を見ながら、わざと列を離れているのもある。話は方々に聞こえる。話の数はかたまりの数より多いように思われる。しかしわりあいにおちついて静かである。煙草(たばこ)の煙のほうが猛烈に立ち上る。
 そのうちだんだん寄って来る。黒い影が闇(やみ)の中から吹きさらしの廊下の上へ、ぽつりと現われると、それが一人一人に明るくなって、部屋の中へはいって来る。時には五、六人続けて、明るくなることもある。が、やがて人数(にんず)はほぼそろった。
 与次郎は、さっきから、煙草の煙の中を、しきりにあちこちと往来していた。行く所で何か小声に話している。三四郎は、そろそろ運動を始めたなと思ってながめていた。
 しばらくすると幹事が大きな声で、みんなに席へ着けと言う。食卓はむろん前から用意ができていた。みんな、ごたごたに席へ着いた。順序もなにもない。食事は始まった。
 三四郎は熊本で赤酒(あかざけ)ばかり飲んでいた。赤酒というのは、所でできる下等な酒である。熊本の学生はみんな赤酒を飲む。それが当然と心得ている。たまたま飲食店へ上がれば牛肉屋である。その牛肉屋の牛(ぎゅう)が馬肉かもしれないという嫌疑(けんぎ)がある。学生は皿に盛った肉を手づかみにして、座敷の壁へたたきつける。落ちれば牛肉で、ひっつけば馬肉だという。まるで呪(まじない)みたような事をしていた。その三四郎にとって、こういう紳士的な学生親睦会(しんぼくかい)は珍しい。喜んでナイフとフォークを動かしていた。そのあいだにはビールをさかんに飲んだ。
 「学生集会所の料理はまずいですね」と三四郎に隣にすわった男が話しかけた。この男は頭を坊主に刈って、金縁の眼鏡(めがね)をかけたおとなしい学生であった。
 「そうですな」と三四郎は生(なま)返事をした。相手が与次郎なら、ぼくのようないなか者には非常にうまいと正直なところをいうはずであったが、その正直がかえって皮肉に聞こえると悪いと思ってやめにした。するとその男が、
 「君はどこの高等学校ですか」と聞きだした。
 「熊本です」
 「熊本ですか。熊本にはぼくの従弟(いとこ)もいたが、ずいぶんひどい所だそうですね」
 「野蛮な所です」
 二人が話していると、向こうの方で、急に高い声がしだした。見ると与次郎が隣席の二、三人を相手に、しきりに何か弁じている。時々ダーターファブラと言う。なんの事だかわからない。しかし与次郎の相手は、この言葉を聞くたびに笑いだす。与次郎はますます得意になって、ダーターファブラ我々新時代の青年は……とやっている。三四郎の筋向こうにすわっていた色の白い品のいい学生が、しばらくナイフの手を休めて、与次郎の連中をながめていたが、やがて笑いながらIl(イル) a(ア) le(ル) diable(ディアブル) au(オー) corps(コール)(悪魔が乗り移っている)と冗談半分にフランス語を使った。向こうの連中にはまったく聞こえなかったとみえて、この時ビールのコップが四つばかり一度に高く上がった。得意そうに祝盃をあげている。
 「あの人はたいへんにぎやかな人ですね」と三四郎の隣の金縁眼鏡をかけた学生が言った。
 「ええ。よくしゃべります」
 「ぼくはいつか、あの人に淀見軒でライスカレーをごちそうになった。まるで知らないのに、突然来て、君淀見軒へ行こうって、とうとう引っ張っていって……」
 学生はハハハと笑った。三四郎は、淀見軒で与次郎からライスカレーをごちそうになったものは自分ばかりではないんだなと悟った。
 やがてコーヒーが出る。一人が椅子(いす)を離れて立った。与次郎が激しく手をたたくと、ほかの者もたちまち調子を合わせた。
 立った者は、新しい黒の制服を着て、鼻の下にもう髭(ひげ)をはやしている。背がすこぶる高い。立つには恰好(かっこう)のよい男である。演説めいたことを始めた。
 我々が今夜ここへ寄って、懇親のために、一夕(いっせき)の歓をつくすのは、それ自身において愉快な事であるが、この懇親が単に社交上の意味ばかりでなく、それ以外に一種重要な影響を生じうると偶然ながら気がついたら自分は立ちたくなった。この会合はビールに始まってコーヒーに終っている。まったく普通の会合である。しかしこのビールを飲んでコーヒーを飲んだ四十人近くの人間は普通の人間ではない。しかもそのビールを飲み始めてからコーヒーを飲み終るまでのあいだに、すでに自己の運命の膨脹を自覚しえた。
 政治の自由を説いたのは昔の事である。言論の自由を説いたのも過去の事である。自由とは単にこれらの表面にあらわれやすい事実のために専有されべき言葉ではない。我ら新時代の青年は偉大なる心の自由を説かねばならぬ時運に際会したと信ずる。
 我々は古き日本の圧迫に堪(た)ええぬ青年である。同時に新しき西洋の圧迫にも堪(た)ええぬ青年であるということを、世間に発表せねばいられぬ状況のもとに生きている。新しき西洋の圧迫は社会の上においても文芸の上においても、我ら新時代の青年にとっては古き日本の圧迫と同じく、苦痛である。
 我々は西洋の文芸を研究する者である。しかし研究はどこまでも研究である。その文芸のもとに屈従するのとは根本的に相違がある。我々は西洋の文芸にとらわれんがために、これを研究するのではない。とらわれたる心を解脱(げだつ)せしめんがために、これを研究しているのである。この方便に合せざる文芸はいかなる威圧のもとにしいらるるとも学ぶ事をあえてせざるの自信と決心とを有している。
 我々はこの自信と決心とを有するの点において普通の人間とは異なっている。文芸は技術でもない、事務でもない。より多く人生の根本義に触れた社会の原動力である。我々はこの意味において文芸を研究し、この意味において如上(じょじょう)の自信と決心とを有し、この意味において今夕(こんせき)の会合に一般以上の重大なる影響を想見するのである。
 社会は激しく動きつつある。社会の産物たる文芸もまた動きつつある。動く勢いに乗じて、我々の理想どおりに文芸を導くためには、零細なる個人を団結して、自己の運命を充実し発展し膨脹しなくてはならぬ。今夕のビールとコーヒーは、かかる隠れたる目的を、一歩前に進めた点において、普通のビールとコーヒーよりも百倍以上の価ある尊きビールとコーヒーである。
 演説の意味はざっとこんなものである。演説が済んだ時、席にあった学生はことごとく喝采(かっさい)した。三四郎はもっとも熱心なる喝采者の一人であった。すると与次郎が突然立った。
 「ダーターファブラ、シェクスピヤの使った字数(じかず)が何万字だの、イブセンの白髪(しらが)の数が何千本だのと言ってたってしかたがない。もっともそんなばかげた講義を聞いたってとらわれる気づかいはないから大丈夫だが、大学に気の毒でいけない。どうしても新時代の青年を満足させるような人間を引っ張って来なくっちゃ。西洋人じゃだめだ。第一幅がきかない。……」
 満堂はまたことごとく喝采した。そうしてことごとく笑った。与次郎の隣にいた者が、
 「ダーターファブラのために祝盃をあげよう」と言いだした。さっき演説をした学生がすぐに賛成した。あいにくビールがみな空(から)である。よろしいと言って与次郎はすぐ台所の方へかけて行った。給仕が酒を持って出る。祝盃をあげるやいなや、
 「もう一つ。今度は偉大なる暗闇のために」と言った者がある。与次郎の周囲にいた者は声を合して、アハハと笑った。与次郎は頭をかいている。
 散会の時刻が来て、若い男がみな暗い夜の中に散った時に、三四郎が与次郎に聞いた。
 「ダーターファブラとはなんの事だ」
 「ギリシア語だ」
 与次郎はそれよりほかに答えなかった。三四郎もそれよりほかに聞かなかった。二人は美しい空をいただいて家に帰った。
 あくる日は予想のごとく好天気である。今年は例年より気候がずっとゆるんでいる。ことさらきょうは暖かい。三四郎は朝のうち湯に行った。閑人(ひまじん)の少ない世の中だから、午前はすこぶるすいている。三四郎は板の間にかけてある三越(みつこし)呉服店の看板を見た。きれいな女がかいてある。その女の顔がどこか美禰子に似ている。よく見ると目つきが違っている。歯並がわからない。美禰子の顔でもっとも三四郎を驚かしたものは目つきと歯並である。与次郎の説によると、あの女は反(そ)っ歯(ぱ)の気味だから、ああしじゅう歯が出るんだそうだが、三四郎にはけっしてそうは思えない。……
 三四郎は湯につかってこんな事を考えていたので、からだのほうはあまり洗わずに出た。ゆうべから急に新時代の青年という自覚が強くなったけれども、強いのは自覚だけで、からだのほうはもとのままである。休みになるとほかの者よりずっと楽にしている。きょうは昼から大学の陸上運動会を見に行く気である。
 三四郎は元来あまり運動好きではない。国にいるとき兎狩(うさぎが)りを二、三度したことがある。それから高等学校の端艇(ボート)競漕(きょうそう)の時に旗振りの役を勤めたことがある。その時青と赤と間違えて振ってたいへん苦情が出た。もっとも決勝の鉄砲を打つ係りの教授が鉄砲を打ちそくなった。打つには打ったが音がしなかった。これが三四郎のあわてた原因である。それより以来三四郎は運動会へ近づかなかった。しかしきょうは上京以来はじめての競技会だから、ぜひ行ってみるつもりである。与次郎もぜひ行ってみろと勧めた。与次郎の言うところによると競技より女のほうが見にゆく価値があるのだそうだ。女のうちには野々宮さんの妹がいるだろう。野々宮さんの妹といっしょに美禰子もいるだろう。そこへ行って、こんちわとかなんとか挨拶(あいさつ)をしてみたい。
 昼過ぎになったから出かけた。会場の入口は運動場の南のすみにある。大きな日の丸とイギリスの国旗が交差してある。日の丸は合点(がてん)がいくが、イギリスの国旗はなんのためだかわからない。三四郎は日英同盟のせいかとも考えた。けれども日英同盟と大学の陸上運動会とは、どういう関係があるか、とんと見当がつかなかった。
 運動場は長方形の芝生(しばふ)である。秋が深いので芝の色がだいぶさめている。競技を見る所は西側にある。後に大きな築山(つきやま)をいっぱいに控えて、前は運動場の柵(さく)で仕切られた中へ、みんなを追い込むしかけになっている。狭いわりに見物人が多いのではなはだ窮屈である。さいわい日和(ひより)がよいので寒くはない。しかし外套(がいとう)を着ている者がだいぶある。その代り傘(かさ)をさして来た女もある。
 三四郎が失望したのは婦人席が別になっていて、普通の人間には近寄れないことであった。それからフロックコートや何か着た偉そうな男がたくさん集って、自分が存外幅のきかないようにみえたことであった。新時代の青年をもってみずからおる三四郎は少し小さくなっていた。それでも人と人との間から婦人席の方を見渡すことは忘れなかった。横からだからよく見えないが、ここはさすがにきれいである。ことごとく着飾っている。そのうえ遠距離だから顔がみんな美しい。その代りだれが目立って美しいということもない。ただ総体が総体として美しい。女が男を征服する色である。甲の女が乙の女に打ち勝つ色ではなかった。そこで三四郎はまた失望した。しかし注意したら、どこかにいるだろうと思って、よく見渡すと、はたして前列のいちばん柵に近い所に二人並んでいた。
 三四郎は目のつけ所がようやくわかったので、まず一段落告げたような気で、安心していると、たちまち五、六人の男が目の前に飛んで出た。二百メートルの競走が済んだのである。決勝点は美禰子とよし子がすわっている真正面で、しかも鼻の先だから、二人を見つめていた三四郎の視線のうちにはぜひともこれらの壮漢がはいってくる。五、六人はやがて一二、三人にふえた。みんな呼吸(いき)をはずませているようにみえる。三四郎はこれらの学生の態度と自分の態度とを比べてみて、その相違に驚いた。どうして、ああ無分別にかける気になれたものだろうと思った。しかし婦人連はことごとく熱心に見ている。そのうちでも美禰子とよし子はもっとも熱心らしい。三四郎は自分も無分別にかけてみたくなった。一番に到着した者が、紫の猿股(さるまた)をはいて婦人席の方を向いて立っている。よく見ると昨夜の親睦会(しんぼくかい)で演説をした学生に似ている。ああ背が高くては一番になるはずである。計測係りが黒板に二十五秒七四と書いた。書き終って、余りの白墨を向こうへなげて、こっちを向いたところを見ると野々宮さんであった。野々宮さんはいつになくまっ黒なフロックを着て、胸に係り員の徽章(きしょう)をつけて、だいぶ人品がいい。ハンケチを出して、洋服の袖(そで)を二、三度はたいたが、やがて黒板を離れて、芝生の上を横切って来た。ちょうど美禰子とよし子のすわっているまん前の所へ出た。低い柵の向こう側から首を婦人席の中へ延ばして、何か言っている。美禰子は立った。野々宮さんの所まで歩いてゆく。柵の向こうとこちらで話を始めたように見える。美禰子は急に振り返った。うれしそうな笑いにみちた顔である。三四郎は遠くから一生懸命に二人を見守っていた。すると、よし子が立った。また柵のそばへ寄って行く。二人が三人になった。芝生の中では砲丸投げが始まった。
 砲丸投げほど力のいるものはなかろう。力のいるわりにこれほどおもしろくないものもたんとない。ただ文字どおり砲丸を投げるのである。芸でもなんでもない。野々宮さんは柵の所で、ちょっとこの様子を見て笑っていた。けれども見物のじゃまになると悪いと思ったのであろう。柵を離れて芝生の中へ引き取った。二人の女も、もとの席へ復した。砲丸は時々投げられている。第一どのくらい遠くまでゆくんだか、ほとんど三四郎にはわからない。三四郎はばかばかしくなった。それでも我慢して立っていた。ようやくのことで片がついたとみえて、野々宮さんはまた黒板へ十一メートル三八と書いた。
 それからまた競走があって、長飛びがあって、その次には槌(つち)投げが始まった。三四郎はこの槌投げにいたって、とうとう辛抱(しんぼう)がしきれなくなった。運動会はめいめいかってに開くべきものである。人に見せべきものではない。あんなものを熱心に見物する女はことごとく間違っているとまで思い込んで、会場を抜け出して、裏の築山の所まで来た。幕が張ってあって通れない。引き返して砂利(じゃり)の敷いてある所を少し来ると、会場から逃げた人がちらほら歩いている。盛装した婦人も見える。三四郎はまた右へ折れて、爪先上(つまさきのぼ)りを丘のてっぺんまで来た。道はてっぺんで尽きている。大きな石がある。三四郎はその上へ腰をかけて、高い崖(がけ)の下にある池をながめた。下の運動会場でわあというおおぜいの声がする。
 三四郎はおよそ五分ばかり石へ腰をかけたままぼんやりしていた。やがてまた動く気になったので腰を上げて、立ちながら靴(くつ)の踵(かかと)を向け直すと、丘の上りぎわの、薄く色づいた紅葉(もみじ)の間に、さっきの女の影が見えた。並んで丘の裾(すそ)を通る。
 三四郎は上から、二人を見おろしていた。二人は枝の隙(すき)から明らかな日向(ひなた)へ出て来た。黙っていると、前を通り抜けてしまう。三四郎は声をかけようかと考えた。距離があまり遠すぎる。急いで二、三歩芝の上を裾の方へ降りた。降り出すといいぐあいに女の一人がこっちを向いてくれた。三四郎はそれでとまった。じつはこちらからあまりごきげんをとりたくない。運動会が少し癪(しゃく)にさわっている。
 「あんな所に……」とよし子が言いだした。驚いて笑っている。この女はどんな陳腐(ちんぷ)なものを見ても珍しそうな目つきをするように思われる。その代り、いかな珍しいものに出会っても、やはり待ち受けていたような目つきで迎えるかと想像される。だからこの女に会うと重苦しいところが少しもなくって、しかもおちついた感じが起こる。三四郎は立ったまま、これはまったく、この大きな、常にぬれている、黒い眸(ひとみ)のおかげだと考えた。
 美禰子も留まった。三四郎を見た。しかしその目はこの時にかぎって何物をも訴えていなかった。まるで高い木をながめるような目であった。三四郎は心のうちで、火の消えたランプを見る心持ちがした。もとの所に立ちすくんでいる。美禰子も動かない。
 「なぜ競技を御覧にならないの」とよし子が下から聞いた。
 「今まで見ていたんですが、つまらないからやめて来たのです」
 よし子は美禰子を顧みた。美禰子はやはり顔色を動かさない。三四郎は、
 「それより、あなたがたこそなぜ出て来たんです。たいへん熱心に見ていたじゃありませんか」と当てたような当てないようなことを大きな声で言った。美禰子はこの時はじめて、少し笑った。三四郎にはその笑いの意味がよくわからない。二歩ばかり女の方に近づいた。
 「もう宅(うち)へ帰るんですか」
 女は二人とも答えなかった。三四郎はまた二歩ばかり女の方へ近づいた。
 「どこかへ行くんですか」
 「ええ、ちょっと」と美禰子が小さな声で言う。よく聞こえない。三四郎はとうとう女の前まで降りて来た。しかしどこへ行くとも追窮もしないで立っている。会場の方で喝采の声が聞こえる。
 「高飛びよ」とよし子が言う。「今度は何メートルになったでしょう」
 美禰子は軽く笑ったばかりである。三四郎も黙っている。三四郎は高飛びに口を出すのをいさぎよしとしないつもりである。すると美禰子が聞いた。
 「この上には何かおもしろいものがあって?」
 この上には石があって、崖があるばかりである。おもしろいものがありようはずがない。
 「なんにもないです」
 「そう」と疑いを残したように言った。
 「ちょいと上がってみましょうか」よし子が、快く言う。
 「あなた、まだここを御存じないの」と相手の女はおちついて出た。
 「いいからいらっしゃいよ」
 よし子は先へ上る。二人はまたついて行った。よし子は足を芝生のはしまで出して、振り向きながら、
 「絶壁ね」と大げさな言葉を使った。「サッフォーでも飛び込みそうな所じゃありませんか」
 美禰子と三四郎は声を出して笑った。そのくせ三四郎はサッフォーがどんな所から飛び込んだかよくわからなかった。
 「あなたも飛び込んでごらんなさい」と美禰子が言う。
 「私? 飛び込みましょうか。でもあんまり水がきたないわね」と言いながら、こっちへ帰って来た。
 やがて女二人のあいだに用談が始まった。
 「あなた、いらしって」と美禰子が言う。
 「ええ。あなたは」とよし子が言う。
 「どうしましょう」
 「どうでも。なんならわたしちょっと行ってくるから、ここに待っていらっしゃい」
 「そうね」
 なかなか片づかない。三四郎が聞いてみると、よし子が病院の看護婦のところへ、ついでだから、ちょっと礼に行ってくるんだと言う。美禰子はこの夏自分の親戚(しんせき)が入院していた時近づきになった看護婦を尋ねれば尋ねるのだが、これは必要でもなんでもないのだそうだ。
 よし子は、すなおに気の軽い女だから、しまいに、すぐ帰って来ますと言い捨てて、早足(はやあし)に一人丘を降りて行った。止めるほどの必要もなし、いっしょに行くほどの事件でもないので、二人はしぜん後にのこるわけになった。二人の消極な態度からいえば、のこるというより、のこされたかたちにもなる。
 三四郎はまた石に腰をかけた。女は立っている。秋の日は鏡のように濁った池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはただ二本の木がはえている。青い松(まつ)と薄い紅葉がぐあいよく枝をかわし合って、箱庭の趣がある。島を越して向こう側の突き当りがこんもりとどす黒く光っている。女は丘の上からその暗い木陰(こかげ)を指さした。
 「あの木を知っていらしって」と言う。
 「あれは椎(しい)」
 女は笑い出した。
 「よく覚えていらっしゃること」
 「あの時の看護婦ですか、あなたが今尋ねようと言ったのは」
 「ええ」
 「よし子さんの看護婦とは違うんですか」
 「違います。これは椎――といった看護婦です」
 今度は三四郎が笑い出した。
 「あすこですね。あなたがあの看護婦といっしょに団扇(うちわ)を持って立っていたのは」
 二人のいる所は高く池の中に突き出している。この丘とはまるで縁のない小山が一段低く、右側を走っている。大きな松と御殿の一角(ひとかど)と、運動会の幕の一部と、なだらかな芝生が見える。
 「熱い日でしたね。病院があんまり暑いものだから、とうとうこらえきれないで出てきたの。――あなたはまたなんであんな所にしゃがんでいらしったんです」
 「熱いからです。あの日ははじめて野々宮さんに会って、それから、あすこへ来てぼんやりしていたのです。なんだか心細くなって」
 「野々宮さんにお会いになってから、心細くおなりになったの」
 「いいえ、そういうわけじゃない」と言いかけて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。
 「野々宮さんといえば、きょうはたいへん働いていますね」
 「ええ、珍しくフロックコートをお着になって――ずいぶん御迷惑でしょう。朝から晩までですから」
 「だってだいぶ得意のようじゃありませんか」
 「だれが、野々宮さんが。――あなたもずいぶんね」
 「なぜですか」
 「だって、まさか運動会の計測係りになって得意になるようなかたでもないでしょう」
 三四郎はまた話頭を転じた。
 「さっきあなたの所へ来て何か話していましたね」
 「会場で?」
 「ええ、運動会の柵の所で」と言ったが、三四郎はこの問を急に撤回したくなった。女は「ええ」と言ったまま男の顔をじっと見ている。少し下唇(したくちびる)をそらして笑いかけている。三四郎はたまらなくなった。何か言ってまぎらそうとした時に、女は口を開いた。
 「あなたはまだこのあいだの絵はがきの返事をくださらないのね」
 三四郎はまごつきながら「あげます」と答えた。女はくれともなんとも言わない。
 「あなた、原口(はらぐち)さんという画工(えかき)を御存じ?」と聞き直した。
 「知りません」
 「そう」
 「どうかしましたか」
 「なに、その原口さんが、きょう見に来ていらしってね、みんなを写生しているから、私たちも用心しないと、ポンチにかかれるからって、野々宮さんがわざわざ注意してくだすったんです」
 美禰子はそばへ来て腰をかけた。三四郎は自分がいかにも愚物のような気がした。
 「よし子さんはにいさんといっしょに帰らないんですか」
 「いっしょに帰ろうったって帰れないわ。よし子さんは、きのうから私の家にいるんですもの」
 三四郎はその時はじめて美禰子から野々宮のおっかさんが国へ帰ったということを聞いた。おっかさんが帰ると同時に、大久保を引き払って、野々宮さんは下宿をする、よし子は当分美禰子の家(うち)から学校へ通うことに、相談がきまったんだそうである。
 三四郎はむしろ野々宮さんの気楽なのに驚いた。そうたやすく下宿生活にもどるくらいなら、はじめから家を持たないほうがよかろう。第一鍋、釜(かま)、手桶(ておけ)などという世帯(しょたい)道具の始末はどうつけたろうと、よけいなことまで考えたが、口に出して言うほどのことでもないから、べつだんの批評は加えなかった。そのうえ、野々宮さんが一家の主人(あるじ)から、あともどりをして、ふたたび純書生と同様な生活状態に復するのは、とりもなおさず家族制度から一歩遠のいたと同じことで、自分にとっては、目前の迷惑を少し長距離へ引き移したような好都合にもなる。その代りよし子が美禰子の家へ同居してしまった。この兄妹(きょうだい)は絶えず往来していないと治まらないようにできあがっている。絶えず往来しているうちには野々宮さんと美禰子との関係も次第次第に移ってくる。すると野々宮さんがまたいつなんどき下宿生活を永久にやめる時機がこないともかぎらない。
 三四郎は頭のなかに、こういう疑いある未来を、描きながら、美禰子と応対をしている。いっこうに気が乗らない。それを外部の態度だけでも普通のごとくつくろおうとすると苦痛になってくる。そこへうまいぐあいによし子が帰ってきてくれた。女同志のあいだには、もう一ぺん競技を見に行こうかという相談があったが、短くなりかけた秋の日がだいぶ回ったのと、回るにつれて、広い戸外の肌寒(はださむ)がようやく増してくるので、帰ることに話がきまる。
 三四郎も女連(れん)に別れて下宿へもどろうと思ったが、三人が話しながら、ずるずるべったりに歩き出したものだから、きわだった挨拶(あいさつ)をする機会がない。二人は自分を引っ張ってゆくようにみえる。自分もまた引っ張られてゆきたいような気がする。それで二人にくっついて池の端(はた)を図書館の横から、方角違いの赤門の方へ向いてきた。そのとき三四郎は、よし子に向かって、
 「お兄(あに)いさんは下宿をなすったそうですね」と聞いたら、よし子は、すぐ、
 「ええ。とうとう。ひとを美禰子さんの所へ押しつけておいて。ひどいでしょう」と同意を求めるように言った。三四郎は何か返事をしようとした。そのまえに美禰子が口を開いた。
 「宗八さんのようなかたは、我々の考えじゃわかりませんよ。ずっと高い所にいて、大きな事を考えていらっしゃるんだから」と大いに野々宮さんをほめだした。よし子は黙って聞いている。
 学問をする人がうるさい俗用を避けて、なるべく単純な生活にがまんするのは、みんな研究のためやむをえないんだからしかたがない。野々宮のような外国にまで聞こえるほどの仕事をする人が、普通の学生同様な下宿にはいっているのも必竟(ひっきょう)野々宮が偉いからのことで、下宿がきたなければきたないほど尊敬しなくってはならない。――美禰子の野々宮に対する賛辞のつづきは、ざっとこうである。
 三四郎は赤門の所で二人に別れた。追分(おいわけ)の方へ足を向けながら考えだした。――なるほど美禰子の言ったとおりである。自分と野々宮を比較してみるとだいぶ段が違う。自分は田舎から出て大学へはいったばかりである。学問という学問もなければ、見識という見識もない。自分が、野々宮に対するほどな尊敬を美禰子から受けえないのは当然である。そういえばなんだか、あの女からばかにされているようでもある。さっき、運動会はつまらないから、ここにいると、丘の上で答えた時に、美禰子はまじめな顔をして、この上には何かおもしろいものがありますかと聞いた。あの時は気がつかなかったが、いま解釈してみると、故意に自分を愚弄(ぐろう)した言葉かもしれない。――三四郎は気がついて、きょうまで美禰子の自分に対する態度や言語を一々繰り返してみると、どれもこれもみんな悪い意味がつけられる。三四郎は往来のまん中でまっ赤になってうつむいた。ふと、顔を上げると向こうから、与次郎とゆうべの会で演説をした学生が並んで来た。与次郎は首を縦に振ったぎり黙っている。学生は帽子をとって礼をしながら、
 「昨夜は。どうですか。とらわれちゃいけませんよ」と笑って行き過ぎた。

       七

 裏から回ってばあさんに聞くと、ばあさんが小さな声で、与次郎さんはきのうからお帰りなさらないと言う。三四郎は勝手口に立って考えた。ばあさんは気をきかして、まあおはいりなさい。先生は書斎においでですからと言いながら、手を休めずに、膳椀(ぜんわん)を洗っている。今晩食(ゆうめし)がすんだばかりのところらしい。
 三四郎は茶の間を通り抜けて、廊下伝いに書斎の入口まで来た。戸があいている。中から「おい」と人を呼ぶ声がする。三四郎は敷居のうちへはいった。先生は机に向かっている。机の上には何があるかわからない。高い背(せ)が研究を隠している。三四郎は入口に近くすわって、
 「御勉強ですか」と丁寧に聞いた。先生は顔をうしろへねじ向けた。髭(ひげ)の影が不明瞭にもじゃもじゃしている。写真版で見ただれかの肖像に似ている。
 「やあ、与次郎かと思ったら、君ですか、失敬した」と言って、席を立った。机の上には筆と紙がある。先生は何か書いていた。与次郎の話に、うちの先生は時々何か書いている。しかし何を書いているんだか、ほかの者が読んでもちっともわからない。生きているうちに、大著述にでもまとめられれば結構だが、あれで死んでしまっちゃあ、反古(ほご)がたまるばかりだ。じつにつまらない。と嘆息していたことがある。三四郎は広田の机の上を見て、すぐ与次郎の話を思い出した。
 「おじゃまなら帰ります。べつだんの用事でもありません」
 「いや、帰ってもらうほどじゃまでもありません。こっちの用事もべつだんのことでもないんだから。そう急に片づけるたちのものをやっていたんじゃない」
 三四郎はちょっと挨拶(あいさつ)ができなかった。しかし腹のうちでは、この人のような気分になれたら、勉強も楽にできてよかろうと思った。しばらくしてから、こう言った。
 「じつは佐々木君のところへ来たんですが、いなかったものですから……」
 「ああ。与次郎はなんでもゆうべから帰らないようだ。時々漂泊して困る」
 「何か急に用事でもできたんですか」
 「用事はけっしてできる男じゃない。ただ用事をこしらえる男でね。ああいうばかは少ない」
 三四郎はしかたがないから、
 「なかなか気楽ですな」と言った。
 「気楽ならいいけれども。与次郎のは気楽なのじゃない。気が移るので――たとえば田の中を流れている小川のようなものと思っていれば間違いはない。浅くて狭い。しかし水だけはしじゅう変っている。だから、する事が、ちっとも締まりがない。縁日へひやかしになど行くと、急に思い出したように、先生松を一鉢(ひとはち)お買いなさいなんて妙なことを言う。そうして買うともなんとも言わないうちに値切(ねぎ)って買ってしまう。その代り縁日ものを買うことなんぞはじょうずでね。あいつに買わせるとたいへん安く買える。そうかと思うと、夏になってみんなが家を留守(るす)にするときなんか、松を座敷へ入れたまんま雨戸をたてて錠をおろしてしまう。帰ってみると、松が温気(うんき)でむれてまっ赤になっている。万事そういうふうでまことに困る」
 実をいうと三四郎はこのあいだ与次郎に二十円貸した。二週間後には文芸時評社から原稿料が取れるはずだから、それまで立替(たてか)えてくれろと言う。事理(わけ)を聞いてみると、気の毒であったから、国から送ってきたばかりの為替(かわせ)を五円引いて、余りはことごとく貸してしまった。まだ返す期限ではないが、広田の話を聞いてみると少々心配になる。しかし先生にそんな事は打ち明けられないから、反対に、
 「でも佐々木君は、大いに先生に敬服して、陰では先生のためになかなか尽力しています」と言うと、先生はまじめになって、
 「どんな尽力をしているんですか」と聞きだした。ところが「偉大なる暗闇(くらやみ)」その他すべて広田先生に関する与次郎の所為(しょい)は、先生に話してはならないと、当人から封じられている。やりかけた途中でそんな事が知れると先生にしかられるにきまってるから黙っているべきだという。話していい時にはおれが話すと明言しているんだからしかたがない。三四郎は話をそらしてしまった。
 三四郎が広田の家へ来るにはいろいろな意味がある。一つは、この人の生活その他が普通のものと変っている。ことに自分の性情とはまったく容(い)れないようなところがある。そこで三四郎はどうしたらああなるだろうという好奇心から参考のため研究に来る。次にこの人の前に出るとのん気になる。世の中の競争があまり苦にならない。野々宮さんも広田先生と同じく世外(せがい)の趣はあるが、世外の功名心(こうみょうしん)のために、流俗の嗜欲(しよく)を遠ざけているかのように思われる。だから野々宮さんを相手に二人(ふたり)ぎりで話していると、自分もはやく一人前の仕事をして、学海に貢献しなくては済まないような気が起こる。いらついてたまらない。そこへゆくと広田先生は太平である。先生は高等学校でただ語学を教えるだけで、ほかになんの芸もない――といっては失礼だが、ほかになんらの研究も公けにしない。しかも泰然と取り澄ましている。そこに、こののん気の源は伏在しているのだろうと思う。三四郎は近ごろ女にとらわれた。恋人にとらわれたのなら、かえっておもしろいが、ほれられているんだか、ばかにされているんだか、こわがっていいんだか、さげすんでいいんだか、よすべきだか、続けべきだかわけのわからないとらわれ方である。三四郎はいまいましくなった。そういう時は広田さんにかぎる。三十分ほど先生と相対していると心持ちが悠揚(ゆうよう)になる。女の一人や二人どうなってもかまわないと思う。実をいうと、三四郎が今夜出かけてきたのは七分方(ぶがた)この意味である。
 訪問理由の第三はだいぶ矛盾(むじゅん)している。自分は美禰子に苦しんでいる。美禰子のそばに野々宮さんを置くとなお苦しんでくる。その野々宮さんにもっとも近いものはこの先生である。だから先生の所へ来ると、野々宮さんと美禰子との関係がおのずから明瞭になってくるだろうと思う。これが明瞭になりさえすれば、自分の態度も判然きめることができる。そのくせ二人の事をいまだかつて先生に聞いたことがない。今夜は一つ聞いてみようかしらと、心を動かした。
 「野々宮さんは下宿なすったそうですね」
 「ええ、下宿したそうです」
 「家をもった者が、また下宿をしたら不便だろうと思いますが、野々宮さんはよく……」
 「ええ、そんな事にはいっこう無頓着(むとんじゃく)なほうでね。あの服装を見てもわかる。家庭的な人じゃない。その代り学問にかけると非常に神経質だ」
 「当分ああやっておいでのつもりなんでしょうか」
 「わからない。また突然家を持つかもしれない」
 「奥さんでもお貰いになるお考えはないんでしょうか」
 「あるかもしれない。いいのを周旋してやりたまえ」
 三四郎は苦笑いをして、よけいな事を言ったと思った。すると広田さんが、
 「君はどうです」と聞いた。
 「私は……」
 「まだ早いですね。今から細君を持っちゃたいへんだ」
 「国の者は勧めますが」
 「国のだれが」
 「母です」
 「おっかさんのいうとおり持つ気になりますか」
 「なかなかなりません」
 広田さんは髭(ひげ)の下から歯を出して笑った。わりあいにきれいな歯を持っている。三四郎はその時急になつかしい心持ちがした。けれどもそのなつかしさは美禰子を離れている。野々宮を離れている。三四郎の眼前の利害には超絶したなつかしさであった。三四郎はこれで、野々宮などの事を聞くのが恥ずかしい気がしだして、質問をやめてしまった。すると広田先生がまた話しだした。――
 「おっかさんのいうことはなるべく聞いてあげるがよい。近ごろの青年は我々時代の青年と違って自我の意識が強すぎていけない。我々の書生をしているころには、する事なす事一として他(ひと)を離れたことはなかった。すべてが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他(ひと)本位であった。それを一口にいうと教育を受けるものがことごとく偽善家であった。その偽善が社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果、漸々(ぜんぜん)自己本位を思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展しすぎてしまった。昔の偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある。――君、露悪家という言葉を聞いたことがありますか」
 「いいえ」
 「今ぼくが即席に作った言葉だ。君もその露悪家の一人(いちにん)――だかどうだか、まあたぶんそうだろう。与次郎のごときにいたるとその最たるものだ。あの君の知ってる里見という女があるでしょう。あれも一種の露悪家で、それから野々宮の妹ね、あれはまた、あれなりに露悪家だから面白い。昔は殿様と親父(おやじ)だけが露悪家ですんでいたが、今日では各自同等の権利で露悪家になりたがる。もっとも悪い事でもなんでもない。臭いものの蓋(ふた)をとれば肥桶(こえたご)で、見事な形式をはぐとたいていは露悪になるのは知れ切っている。形式だけ見事だって面倒なばかりだから、みんな節約して木地(きじ)だけで用を足している。はなはだ痛快である。天醜爛漫(らんまん)としている。ところがこの爛漫が度を越すと、露悪家同志がお互いに不便を感じてくる。その不便がだんだん高じて極端に達した時利他主義がまた復活する。それがまた形式に流れて腐敗するとまた利己主義に帰参する。つまり際限はない。我々はそういうふうにして暮らしてゆくものと思えばさしつかえない。そうしてゆくうちに進歩する。英国を見たまえ。この両主義が昔からうまく平衡がとれている。だから動かない。だから進歩しない。イブセンも出なければニイチェも出ない。気の毒なものだ。自分だけは得意のようだが、はたから見れば堅くなって、化石しかかっている。……」
 三四郎は内心感心したようなものの、話がそれてとんだところへ曲がって、曲がりなりに太くなってゆくので、少し驚いていた。すると広田さんもようやく気がついた。
 「いったい何を話していたのかな」
 「結婚の事です」
 「結婚?」
 「ええ、私が母の言うことを聞いて……」
 「うん、そうそう。なるべくおっかさんの言うことを聞かなければいけない」と言ってにこにこしている。まるで子供に対するようである。三四郎はべつに腹も立たなかった。
 「我々が露悪家なのは、いいですが、先生時代の人が偽善家なのは、どういう意味ですか」
 「君、人から親切にされて愉快ですか」
 「ええ、まあ愉快です」
 「きっと? ぼくはそうでない、たいへん親切にされて不愉快な事がある」
 「どんな場合ですか」
 「形式だけは親切にかなっている。しかし親切自身が目的でない場合」
 「そんな場合があるでしょうか」
 「君、元日におめでとうと言われて、じっさいおめでたい気がしますか」
 「そりゃ……」
 「しないだろう。それと同じく腹をかかえて笑うだの、ころげかえって笑うだのというやつに、一人だってじっさい笑ってるやつはない。親切もそのとおり。お役目に親切をしてくれるのがある。ぼくが学校で教師をしているようなものでね。実際の目的は衣食にあるんだから、生徒から見たらさだめて不愉快だろう。これに反して与次郎のごときは露悪党の領袖(りょうしゅう)だけに、たびたびぼくに迷惑をかけて、始末におえぬいたずら者だが、悪気(にくげ)がない。可愛らしいところがある。ちょうどアメリカ人の金銭に対して露骨なのと一般だ。それ自身が目的である。それ自身が目的である行為ほど正直なものはなくって、正直ほど厭味(いやみ)のないものはないんだから、万事正直に出られないような我々時代の、こむずかしい教育を受けたものはみんな気障(きざ)だ」
 ここまでの理屈は三四郎にもわかっている。けれども三四郎にとって、目下痛切な問題は、だいたいにわたっての理屈ではない。実際に交渉のある、ある格段な相手が、正直か正直でないかを知りたいのである。三四郎は腹の中で美禰子の自分に対する素振(そぶり)をもう一ぺん考えてみた。ところが気障か気障でないかほとんど判断ができない。三四郎は自分の感受性が人一倍鈍いのではなかろうかと疑いだした。
 その時広田さんは急にうんと言って、何か思い出したようである。
 「うん、まだある。この二十世紀になってから妙なのが流行(はや)る。利他本位の内容を利己本位でみたすというむずかしいやり口なんだが、君そんな人に出会ったですか」
 「どんなのです」
 「ほかの言葉でいうと、偽善を行うに露悪をもってする。まだわからないだろうな。ちと説明し方が悪いようだ。――昔の偽善家はね、なんでも人によく思われたいが先に立つんでしょう。ところがその反対で、人の感触を害するために、わざわざ偽善をやる。横から見ても縦から見ても、相手には偽善としか思われないようにしむけてゆく。相手はむろんいやな心持ちがする。そこで本人の目的は達せられる。偽善を偽善そのままで先方に通用させようとする正直なところが露悪家の特色で、しかも表面上の行為言語はあくまでも善に違いないから、――そら、二位一体というようなことになる。この方法を巧妙に用いる者が近来だいぶふえてきたようだ。きわめて神経の鋭敏になった文明人種が、もっとも優美に露悪家になろうとすると、これがいちばんいい方法になる。血を出さなければ人が殺せないというのはずいぶん野蛮な話だからな君、だんだん流行(はや)らなくなる」
 広田先生の話し方は、ちょうど案内者が古戦場を説明するようなもので、実際を遠くからながめた地位にみずからを置いている。それがすこぶる楽天の趣がある。あたかも教場で講義を聞くと一般の感を起こさせる。しかし三四郎にはこたえた。念頭に美禰子という女があって、この理論をすぐ適用できるからである。三四郎は頭の中にこの標準を置いて、美禰子のすべてを測ってみた。しかし測り切れないところがたいへんある。先生は口を閉じて、例のごとく鼻から哲学の煙を吐き始めた。
 ところへ玄関に足音がした。案内も乞わずに廊下伝いにはいって来る。たちまち与次郎が書斎の入口にすわって、
 「原口さんがおいでになりました」と言う。ただ今帰りましたという挨拶を省いている。わざと省いたのかもしれない。三四郎にはぞんざいな目礼をしたばかりですぐに出ていった。
 与次郎と敷居ぎわですれ違って、原口さんがはいって来た。原口さんはフランス式の髭(ひげ)をはやして、頭を五分刈にした、脂肪の多い男である。野々宮さんより年が二つ三つ上に見える。広田先生よりずっときれいな和服を着ている。
 「やあ、しばらく。今まで佐々木が家(うち)へ来ていてね。いっしょに飯を食ったり何かして――それから、とうとう引っ張り出されて……」とだいぶ楽天的な口調である。そばにいるとしぜん陽気になるような声を出す。三四郎は原口という名前を聞いた時から、おおかたあの画工(えかき)だろうと思っていた。それにしても与次郎は交際家だ。たいていな先輩とはみんな知合いになっているからえらいと感心して堅くなった。三四郎は年長者の前へ出ると堅くなる。九州流の教育を受けた結果だと自分では解釈している。
 やがて主人が原口に紹介してくれる。三四郎は丁寧に頭を下げた。向こうは軽く会釈した。三四郎はそれから黙って二人の談話を承っていた。
 原口さんはまず用談から片づけると言って、近いうちに会をするから出てくれと頼んでいる。会員と名のつくほどのりっぱなものはこしらえないつもりだが、通知を出すものは、文学者とか芸術家とか、大学の教授とか、わずかな人数にかぎっておくからさしつかえはない。しかもたいてい知り合いのあいだだから、形式はまったく不必要である。目的はただおおぜい寄って晩餐(ばんさん)を食う。それから文芸上有益な談話を交換する。そんなものである。
 広田先生は一口「出よう」と言った。用事はそれで済んでしまった。用事はそれで済んでしまったが、それから後の原口さんと広田先生の会話がすこぶるおもしろかった。
 広田先生が「君近ごろ何をしているかね」と原口さんに聞くと、原口さんがこんな事を言う。
 「やっぱり一中節(いっちゅうぶし)を稽古(けいこ)している。もう五つほど上げた。花紅葉吉原八景(はなもみじよしわらはっけい)だの、小稲半兵衛(こいなはんべえ)唐崎心中(からさきしんじゅう)だのってなかなかおもしろいのがあるよ。君も少しやってみないか。もっともありゃ、あまり大きな声を出しちゃいけないんだってね。本来が四畳半の座敷にかぎったものだそうだ。ところがぼくがこのとおり大きな声だろう。それに節回しがあれでなかなか込み入っているんで、どうしてもうまくいかん。こんだ一つやるから聞いてくれたまえ」
 広田先生は笑っていた。すると原口さんは続きをこういうふうに述べた。
 「それでもぼくはまだいいんだが、里見恭助(さとみきょうすけ)ときたら、まるで形無しだからね。どういうものかしらん。妹はあんなに器用だのに。このあいだはとうとう降参して、もう歌(うた)はやめる、その代り何か楽器を習おうと言いだしたところが、馬鹿囃子(ばかばやし)をお習いなさらないかと勧めた者があってね。大笑いさ」
 「そりゃ本当かい」
 「本当とも。現に里見がぼくに、君がやるならやってもいいと言ったくらいだもの。あれで馬鹿囃子には八通り囃し方があるんだそうだ」
 「君、やっちゃどうだ。あれなら普通の人間にでもできそうだ」
 「いや馬鹿囃子はいやだ。それよりか鼓(つづみ)が打ってみたくってね。なぜだか鼓の音を聞いていると、まったく二十世紀の気がしなくなるからいい。どうして今の世にああ間が抜けていられるだろうと思うと、それだけでたいへんな薬になる。いくらぼくがのん気でも、鼓の音のような絵はとてもかけないから」
 「かこうともしないんじゃないか」
 「かけないんだもの。今の東京にいる者に悠揚(ゆうよう)な絵ができるものか。もっとも絵にもかぎるまいけれども。――絵といえば、このあいだ大学の運動会へ行って、里見と野々宮さんの妹のカリカチュアーをかいてやろうと思ったら、とうとう逃げられてしまった。こんだ一つ本当の肖像画をかいて展覧会にでも出そうかと思って」
 「だれの」
 「里見の妹の。どうも普通の日本の女の顔は歌麿式(うたまろしき)や何かばかりで、西洋の画布(カンバス)にはうつりが悪くっていけないが、あの女や野々宮さんはいい。両方ともに絵になる。あの女が団扇(うちわ)をかざして、木立(こだち)をうしろに、明るい方を向いているところを等身(ライフサイズ)に写してみようかしらと思っている。西洋の扇は厭味(いやみ)でいけないが、日本の団扇は新しくっておもしろいだろう。とにかくはやくしないとだめだ。いまに嫁にでもいかれようものなら、そうこっちの自由にいかなくなるかもしれないから」
 三四郎は多大な興味をもって原口の話を聞いていた。ことに美禰子が団扇をかざしている構図は非常な感動を三四郎に与えた。不思議の因縁が二人の間に存在しているのではないかと思うほどであった。すると広田先生が、「そんな図はそうおもしろいこともないじゃないか」と無遠慮な事を言いだした。
 「でも当人の希望なんだもの。団扇をかざしているところは、どうでしょうと言うから、すこぶる妙でしょうと言って承知したのさ。なに、悪い図どりではないよ。かきようにもよるが」
 「あんまり美しくかくと、結婚の申込みが多くなって困るぜ」
 「ハハハじゃ中ぐらいにかいておこう。結婚といえば、あの女も、もう嫁にゆく時期だね。どうだろう、どこかいい口はないだろうか。里見にも頼まれているんだが」
 「君もらっちゃどうだ」
 「ぼくか。ぼくでよければもらうが、どうもあの女には信用がなくってね」
 「なぜ」
 「原口さんは洋行する時にはたいへんな気込みで、わざわざ鰹節(かつぶし)を買い込んで、これでパリーの下宿に籠城(ろうじょう)するなんて大いばりだったが、パリーへ着くやいなや、たちまち豹変(ひょうへん)したそうですねって笑うんだから始末がわるい。おおかた兄(あにき)からでも聞いたんだろう」
 「あの女は自分の行きたい所でなくっちゃ行きっこない。勧めたってだめだ。好きな人があるまで独身で置くがいい」
 「まったく西洋流だね。もっともこれからの女はみんなそうなるんだから、それもよかろう」
 それから二人の間に長い絵画談があった。三四郎は広田先生の西洋の画工の名をたくさん知っているのに驚いた。帰るとき勝手口で下駄(げた)を捜していると、先生が梯子段(はしごだん)の下へ来て「おい佐々木ちょっと降りて来い」と言っていた。
 戸外(そと)は寒い。空は高く晴れて、どこから露が降るかと思うくらいである。手が着物にさわると、さわった所だけがひやりとする。人通りの少ない小路(こうじ)を二、三度折れたり曲がったりしてゆくうちに、突然辻占屋(つじうらや)に会った。大きな丸い提灯(ちょうちん)をつけて、腰から下をまっ赤にしている。三四郎は辻占が買ってみたくなった。しかしあえて買わなかった。杉垣(すぎがき)に羽織の肩が触れるほどに、赤い提灯をよけて通した。しばらくして、暗い所をはすに抜けると、追分の通りへ出た。角(かど)に蕎麦屋(そばや)がある。三四郎は今度は思い切って暖簾(のれん)をくぐった。少し酒を飲むためである。
 高等学校の生徒が三人いる。近ごろ学校の先生が昼の弁当に蕎麦を食う者が多くなったと話している。蕎麦屋の担夫(かつぎ)が午砲(どん)が鳴ると、蒸籠(せいろ)や種(たね)ものを山のように肩へ載せて、急いで校門をはいってくる。ここの蕎麦屋はあれでだいぶもうかるだろうと話している。なんとかいう先生は夏でも釜揚饂飩(かまあげうどん)を食うが、どういうものだろうと言っている。おおかた胃が悪いんだろうと言っている。そのほかいろいろの事を言っている。教師の名はたいてい呼び棄てにする。なかに一人広田さんと言った者がある。それからなぜ広田さんは独身でいるかという議論を始めた。広田さんの所へ行くと女の裸体画がかけてあるから、女がきらいなんじゃなかろうという説である。もっともその裸体画は西洋人だからあてにならない。日本の女はきらいかもしれないという説である。いや失恋の結果に違いないという説も出た。失恋してあんな変人になったのかと質問した者もあった。しかし若い美人が出入するという噂(うわさ)があるが本当かと聞きただした者もあった。
 だんだん聞いているうちに、要するに広田先生は偉い人だということになった。なぜ偉いか三四郎にもよくわからないが、とにかくこの三人は三人ながら与次郎の書いた「偉大なる暗闇」を読んでいる。現にあれを読んでから、急に広田さんが好きになったと言っている。時々は「偉大なる暗闇」のなかにある警句などを引用してくる。そうしてさかんに与次郎の文章をほめている。零余子(れいよし)とはだれだろうと不思議がっている。なにしろよほどよく広田さんを知っている男に相違ないということには三人とも同意した。
 三四郎はそばにいて、なるほどと感心した。与次郎が「偉大なる暗闇」を書くはずである。文芸時評の売れ高の少ないのは当人の自白したとおりであるのに、麗々(れいれい)しく彼のいわゆる大論文を掲げて得意がるのは、虚栄心の満足以外になんのためになるだろうと疑っていたが、これでみると活版の勢力はやはりたいしたものである。与次郎の主張するとおり、一言(いちごん)でも半句でも言わないほうが損になる。人の評判はこんなところからあがり、またこんなところから落ちると思うと、筆を執るものの責任が恐ろしくなって、三四郎は蕎麦屋を出た。
 下宿へ帰ると、酒はもうさめてしまった。なんだかつまらなくっていけない。机の前にすわって、ぼんやりしていると、下女が下から湯沸(ゆわかし)に熱い湯を入れて持ってきたついでに、封書を一通置いていった。また母の手紙である。三四郎はすぐ封を切った。きょうは母の手跡を見るのがはなはだうれしい。
 手紙はかなり長いものであったが、べつだんの事も書いてない。ことに三輪田のお光さんについては一口も述べてないので大いにありがたかった。けれどもなかに妙な助言(じょげん)がある。
 お前は子供の時から度胸がなくっていけない。度胸の悪いのはたいへんな損で、試験の時なぞにはどのくらい困るかしれない。興津(おきつ)の高(たか)さんは、あんなに学問ができて、中学校の先生をしているが、検定試験を受けるたびに、からだがふるえて、うまく答案ができないんで、気の毒なことにいまだに月給が上がらずにいる。友だちの医学士とかに頼んでふるえのとまる丸薬をこしらえてもらって、試験前に飲んで出たがやっぱりふるえたそうである。お前のはぶるぶるふるえるほどでもないようだから、平生から持薬(じやく)に度胸のすわる薬を東京の医者にこしらえてもらって飲んでみろ。直らないこともなかろうというのである。
 三四郎はばかばかしいと思った。けれどもばかばかしいうちに大いなる感謝を見出した。母は本当に親切なものであると、つくづく感心した。その晩一時ごろまでかかって長い返事を母にやった。そのなかには東京はあまりおもしろい所ではないという一句があった。

       八

 三四郎が与次郎に金を貸したてんまつは、こうである。
 このあいだの晩九時ごろになって、与次郎が雨のなかを突然やって来て、あたまから大いに弱ったと言う。見ると、いつになく顔の色が悪い。はじめは秋雨(あきさめ)にぬれた冷たい空気に吹かれすぎたからのことと思っていたが、座について見ると、悪いのは顔色ばかりではない。珍しく消沈している。三四郎が「ぐあいでもよくないのか」と尋ねると、与次郎は鹿(しか)のような目を二度ほどぱちつかせて、こう答えた。
 「じつは金をなくしてね。困っちまった」
 そこで、ちょっと心配そうな顔をして、煙草の煙を二、三本鼻から吐いた。三四郎は黙って待っているわけにもゆかない。どういう種類の金を、どこでなくなしたのかとだんだん聞いてみると、すぐわかった。与次郎は煙草の煙の、二、三本鼻から出切るあいだだけ控えていたばかりで、そのあとは、一部始終をわけもなくすらすらと話してしまった。
 与次郎のなくした金は、額(たか)で二十円、ただし人のものである。去年広田先生がこのまえの家を借りる時分に、三か月の敷金に窮して、足りないところを一時野々宮さんから用達(ようだ)ってもらったことがある。しかるにその金は野々宮さんが、妹(いもと)にバイオリンを買ってやらなくてはならないとかで、わざわざ国元の親父(おやじ)さんから送らせたものだそうだ。それだからきょうがきょう必要というほどでない代りに、延びれば延びるほどよし子が困る。よし子は現に今でもバイオリンを買わずに済ましている。広田先生が返さないからである。先生だって返せればとうに返すんだろうが、月々余裕が一文も出ないうえに、月給以外にけっしてかせがない男だから、ついそれなりにしてあった。ところがこの夏高等学校の受験生の答案調べを引き受けた時の手当(てあて)が六十円このごろになってようやく受け取れた。それでようやく義理を済ますことになって、与次郎がその使いを言いつかった。
 「その金をなくなしたんだからすまない」と与次郎が言っている。じっさいすまないような顔つきでもある。どこへ落としたんだと聞くと、なに落としたんじゃない。馬券(ばけん)を何枚とか買って、みんななくなしてしまったのだと言う。三四郎もこれにはあきれ返った。あまり無分別の度を通り越しているので意見をする気にもならない。そのうえ本人が悄然(しょうぜん)としている。これをいつもの活発溌地(はっち)と比べると与次郎なるものが二人(ふたり)いるとしか思われない。その対照が激しすぎる。だからおかしいのと気の毒なのとがいっしょになって三四郎を襲ってきた。三四郎は笑いだした。すると与次郎も笑いだした。
 「まあいいや、どうかなるだろう」と言う。
 「先生はまだ知らないのか」と聞くと、
 「まだ知らない」
 「野々宮さんは」
 「むろん、まだ知らない」
 「金はいつ受け取ったのか」
 「金はこの月始まりだから、きょうでちょうど二週間ほどになる」
 「馬券を買ったのは」
 「受け取ったあくる日だ」
 「それからきょうまでそのままにしておいたのか」
 「いろいろ奔走したができないんだからしかたがない。やむをえなければ今月末(すえ)までこのままにしておこう」
 「今月末になればできる見込みでもあるのか」
 「文芸時評社から、どうかなるだろう」
 三四郎は立って、机の引出しをあけた。きのう母から来たばかりの手紙の中をのぞいて、
 「金はここにある。今月は国から早く送ってきた」と言った。与次郎は、
 「ありがたい。親愛なる小川君」と急に元気のいい声で落語家のようなことを言った。
 二人は十時すぎ雨を冒して、追分(おいわけ)の通りへ出て、角の蕎麦屋へはいった。三四郎が蕎麦屋で酒を飲むことを覚えたのはこの時である。その晩は二人とも愉快に飲んだ。勘定は与次郎が払った。与次郎はなかなか人に払わせない男である。
 それからきょうにいたるまで与次郎は金を返さない。三四郎は正直だから下宿屋の払いを気にしている。催促はしないけれども、どうかしてくれればいいがと思って、日を過ごすうちに晦日(みそか)近くなった。もう一日二日(ふつか)しか余っていない。間違ったら下宿の勘定を延ばしておこうなどという考えはまだ三四郎の頭にのぼらない。必ず与次郎が持って来てくれる――とまではむろん彼を信用していないのだが、まあどうかくめんしてみようくらいの親切気はあるだろうと考えている。広田先生の評によると与次郎の頭は浅瀬の水のようにしじゅう移っているのだそうだが、むやみに移るばかりで責任を忘れるようでは困る。まさかそれほどの事もあるまい。
 三四郎は二階の窓から往来をながめていた。すると向こうから与次郎が足早にやって来た。窓の下まで来てあおむいて、三四郎の顔を見上げて、「おい、おるか」と言う。三四郎は上から、与次郎を見下(みおろ)して、「うん、おる」と言う。このばかみたような挨拶(あいさつ)が上下で一句交換されると、三四郎は部屋(へや)の中へ首を引っ込める。与次郎は梯子段(はしごだん)をとんとん上がってきた。
 「待っていやしないか。君のことだから下宿の勘定を心配しているだろうと思って、だいぶ奔走した。ばかげている」
 「文芸時評から原稿料をくれたか」
 「原稿料って、原稿料はみんな取ってしまった」
 「だってこのあいだは月末に取るように言っていたじゃないか」
 「そうかな、それは間違いだろう。もう一文も取るのはない」
 「おかしいな。だって君はたしかにそう言ったぜ」
 「なに、前借りをしようと言ったのだ。ところがなかなか貸さない。ぼくに貸すと返さないと思っている。けしからん。わずか二十円ばかりの金だのに。いくら偉大なる暗闇を書いてやっても信用しない。つまらない。いやになっちまった」
 「じゃ金はできないのか」
 「いやほかでこしらえたよ。君が困るだろうと思って」
 「そうか。それは気の毒だ」
 「ところが困った事ができた。金はここにはない。君が取りにいかなくっちゃ」
 「どこへ」
 「じつは文芸時評がいけないから、原口だのなんだの二、三軒歩いたが、どこも月末でつごうがつかない。それから最後に里見の所へ行って――里見というのは知らないかね。里見恭助。法学士だ。美禰子さんのにいさんだ。あすこへ行ったところが、今度は留守(るす)でやっぱり要領を得ない。そのうち腹が減って歩くのがめんどうになったから、とうとう美禰子さんに会って話をした」
 「野々宮さんの妹がいやしないか」
 「なに昼少し過ぎだから学校に行ってる時分だ。それに応接間だからいたってかまやしない」
 「そうか」
 「それで美禰子さんが、引き受けてくれて、御用立て申しますと言うんだがね」
 「あの女は自分の金があるのかい」
 「そりゃ、どうだか知らない。しかしとにかく大丈夫(だいじょうぶ)だよ。引き受けたんだから。ありゃ妙な女で、年のいかないくせにねえさんじみた事をするのが好きな性質(たち)なんだから、引き受けさえすれば、安心だ。心配しないでもいい。よろしく願っておけばかまわない。ところがいちばんしまいになって、お金はここにありますが、あなたには渡せませんと言うんだから、驚いたね。ぼくはそんなに不信用なんですかと聞くと、ええと言って笑っている。いやになっちまった。じゃ小川をよこしますかなとまた聞いたら、え、小川さんにお手渡しいたしましょうと言われた。どうでもかってにするがいい。君取りにいけるかい」
 「取りにいかなければ、国へ電報でもかけるんだな」
 「電報はよそう。ばかげている。いくら君だって借りにいけるだろう」
 「いける」
 これでようやく二十円のらちがあいた。それが済むと、与次郎はすぐ広田先生に関する事件の報告を始めた。
 運動は着々歩を進めつつある。暇さえあれば下宿へ出かけていって、一人一人に相談する。相談は一人一人にかぎる。おおぜい寄ると、めいめいが自分の存在を主張しようとして、ややともすれば異(い)をたてる。それでなければ、自分の存在を閑却された心持ちになって、初手(しょて)から冷淡にかまえる。相談はどうしても一人一人にかぎる。その代り暇はいる。金もいる。それを苦にしていては運動はできない。それから相談中には広田先生の名前をあまり出さないことにする。我々のための相談でなくって、広田先生のための相談だと思われると、事がまとまらなくなる。
 与次郎はこの方法で運動の歩を進めているのだそうだ。それできょうまでのところはうまくいった。西洋人ばかりではいけないから、ぜひとも日本人を入れてもらおうというところまで話はきた。これから先はもう一ぺん寄って、委員を選んで、学長なり、総長なりに、我々の希望を述べにやるばかりである。もっとも会合だけはほんの形式だから略してもいい。委員になるべき学生もだいたいは知れている。みんな広田先生に同情を持っている連中だから、談判の模様によっては、こっちから先生の名を当局者へ持ち出すかもしれない。……
 聞いていると、与次郎一人で天下が自由になるように思われる。三四郎は少なからず与次郎の手腕に感服した。与次郎はまたこのあいだの晩、原口さんを先生の所へ連れてきた事について、弁じだした。
 「あの晩、原口さんが、先生に文芸家の会をやるから出ろと、勧めていたろう」と言う。三四郎はむろん覚えている。与次郎の話によると、じつはあれも自身の発起(ほっき)にかかるものだそうだ。その理由はいろいろあるが、まず第一に手近なところを言えば、あの会員のうちには、大学の文科で有力な教授がいる。その男と広田先生を接触させるのは、このさい先生にとって、たいへんな便利である。先生は変人だから、求めてだれとも交際しない。しかしこっちで相当の機会を作って、接触させれば、変人なりに付合ってゆく。……
 「そういう意味があるのか、ちっとも知らなかった。それで君が発起人だというんだが、会をやる時、君の名前で通知を出して、そういう偉い人たちがみんな寄って来るのかな」
 与次郎は、しばらくまじめに、三四郎を見ていたが、やがて苦笑いをしてわきを向いた。
 「ばかいっちゃいけない。発起人って、おもてむきの発起人じゃない。ただぼくがそういう会を企てたのだ。つまりぼくが原口さんを勧めて、万事原口さんが周旋するようにこしらえたのだ」
 「そうか」
 「そうかは田臭(でんしゅう)だね。時に君もあの会へ出るがいい。もう近いうちにあるはずだから」
 「そんな偉い人ばかり出る所へ行ったってしかたがない。ぼくはよそう」
 「また田臭を放った。偉い人も偉くない人も社会へ頭を出した順序が違うだけだ。なにあんな連中、博士とか学士とかいったって、会って話してみるとなんでもないものだよ。第一向こうがそう偉いともなんとも思ってやしない。ぜひ出ておくがいい。君の将来のためだから」
 「どこであるのか」
 「たぶん上野(うえの)の精養軒(せいようけん)になるだろう」
 「ぼくはあんな所へ、はいったことがない。高い会費を取るんだろう」
 「まあ二円ぐらいだろう。なに会費なんか、心配しなくってもいい。なければぼくがだしておくから」
 三四郎はたちまち、さきの二十円の件を思い出した。けれども不思議におかしくならなかった。与次郎はそのうち銀座(ぎんざ)のどことかへ天麩羅(てんぷら)を食いに行こうと言いだした。金はあると言う。不思議な男である。言いなり次第になる三四郎もこれは断った。その代りいっしょに散歩に出た。帰りに岡野(おかの)へ寄って、与次郎は栗饅頭(くりまんじゅう)をたくさん買った。これを先生にみやげに持ってゆくんだと言って、袋をかかえて帰っていった。
 三四郎はその晩与次郎の性格を考えた。長く東京にいるとあんなになるものかと思った。それから里見へ金を借りに行くことを考えた。美禰子の所へ行く用事ができたのはうれしいような気がする。しかし頭を下げて金を借りるのはありがたくない。三四郎は生まれてから今日にいたるまで、人に金を借りた経験のない男である。その上貸すという当人が娘である。独立した人間ではない。たとい金が自由になるとしても、兄の許諾を得ない内証の金を借りたとなると、借りる自分はとにかく、あとで、貸した人の迷惑になるかもしれない。あるいはあの女のことだから、迷惑にならないようにはじめからできているかとも思える。なにしろ会ってみよう。会ったうえで、借りるのがおもしろくない様子だったら、断わって、しばらく下宿の払いを延ばしておいて、国から取り寄せれば事は済む。――当用はここまで考えて句切りをつけた。あとは散漫に美禰子の事が頭に浮かんで来る。美禰子の顔や手や、襟(えり)や、帯や、着物やらを、想像にまかせて、乗(か)けたり除(わ)ったりしていた。ことにあした会う時に、どんな態度で、どんな事を言うだろうとその光景が十(と)通りにも二十(にじっ)通りにもなって、いろいろに出て来る。三四郎は本来からこんな男である。用談があって人と会見の約束などをする時には、先方がどう出るだろうということばかり想像する。自分が、こんな顔をして、こんな事を、こんな声で言ってやろうなどとはけっして考えない。しかも会見が済むと後からきっとそのほうを考える。そうして後悔する。
 ことに今夜は自分のほうを想像する余地がない。三四郎はこのあいだから美禰子を疑っている。しかし疑うばかりでいっこうらちがあかない。そうかといって面と向かって、聞きただすべき事件は一つもないのだから、一刀両断の解決などは思いもよらぬことである。もし三四郎の安心のために解決が必要なら、それはただ美禰子に接触する機会を利用して、先方の様子から、いいかげんに最後の判決を自分に与えてしまうだけである。あしたの会見はこの判決に欠くべからざる材料である。だから、いろいろに向こうを想像してみる。しかし、どう想像しても、自分につごうのいい光景ばかり出てくる。それでいて、実際ははなはだ疑わしい。ちょうどきたない所をきれいな写真にとってながめているような気がする。写真は写真としてどこまでも本当に違いないが、実物のきたないことも争われないと一般で、同じでなければならぬはずの二つがけっして一致しない。
 最後にうれしいことを思いついた。美禰子は与次郎に金を貸すと言った。けれども与次郎には渡さないと言った。じっさい与次郎は金銭のうえにおいては、信用しにくい男かもしれない。しかしその意味で美禰子が渡さないのか、どうだか疑わしい。もしその意味でないとすると、自分にははなはだたのもしいことになる。ただ金を貸してくれるだけでも十分の好意である。自分に会って手渡しにしたいというのは――三四郎はここまで己惚れてみたが、たちまち、
 「やっぱり愚弄(ぐろう)じゃないか」と考えだして、急に赤くなった。もし、ある人があって、その女はなんのために君を愚弄するのかと聞いたら、三四郎はおそらく答ええなかったろう。しいて考えてみろと言われたら、三四郎は愚弄そのものに興味をもっている女だからとまでは答えたかもしれない。自分の己惚れを罰するためとはまったく考ええなかったに違いない。――三四郎は美禰子のために己惚れしめられたんだと信じている。
 翌日はさいわい教師が二人欠席して、昼からの授業が休みになった。下宿へ帰るのもめんどうだから、途中で一品(いっぴん)料理の腹をこしらえて、美禰子の家へ行った。前を通ったことはなんべんでもある。けれどもはいるのははじめてである。瓦葺(かわらぶき)の門の柱に里見恭助という標札が出ている。三四郎はここを通るたびに、里見恭助という人はどんな男だろうと思う。まだ会ったことがない。門は締まっている。潜(くぐ)りからはいると玄関までの距離は存外短かい。長方形の御影石(みかげいし)が飛び飛びに敷いてある。玄関は細いきれいな格子(こうし)でたてきってある。ベルを押す。取次ぎの下女に、「美禰子さんはお宅ですか」と言った時、三四郎は自分ながら気恥ずかしいような妙な心持ちがした。ひとの玄関で、妙齢の女の在否を尋ねたことはまだない。はなはだ尋ねにくい気がする。下女のほうは案外まじめである。しかもうやうやしい。いったん奥へはいって、また出て来て、丁寧にお辞儀をして、どうぞと言うからついて上がると応接間へ通した。重い窓掛けの掛かっている西洋室である。少し暗い。
 下女はまた、「しばらく、どうか……」と挨拶して出て行った。三四郎は静かな部屋(へや)の中に席を占めた。正面に壁を切り抜いた小さい暖炉(だんろ)がある。その上が横に長い鏡になっていて前に蝋燭立(ろうそくたて)が二本ある。三四郎は左右の蝋燭立のまん中に自分の顔を写して見て、またすわった。
 すると奥の方でバイオリンの音がした。それがどこからか、風が持って来て捨てて行ったように、すぐ消えてしまった。三四郎は惜しい気がする。厚く張った椅子(いす)の背によりかかって、もう少しやればいいがと思って耳を澄ましていたが、音はそれぎりでやんだ。約一分もたつうちに、三四郎はバイオリンの事を忘れた。向こうにある鏡と蝋燭立をながめている。妙に西洋のにおいがする。それからカソリックの連想がある。なぜカソリックだか三四郎にもわからない。その時バイオリンがまた鳴った。今度は高い音(ね)と低い音が二、三度急に続いて響いた。それでぱったり消えてしまった。三四郎はまったく西洋の音楽を知らない。しかし今の音は、けっして、まとまったものの一部分をひいたとは受け取れない。ただ鳴らしただけである。その無作法にただ鳴らしたところが三四郎の情緒(じょうしょ)によく合った。不意に天から二、三粒(つぶ)落ちて来た、でたらめの雹(ひょう)のようである。
 三四郎がなかば感覚を失った目を鏡の中に移すと、鏡の中に美禰子がいつのまにか立っている。下女がたてたと思った戸があいている。戸のうしろにかけてある幕を片手で押し分けた美禰子の胸から上が明らかに写っている。美禰子は鏡の中で三四郎を見た。三四郎は鏡の中の美禰子を見た。美禰子はにこりと笑った。
 「いらっしゃい」
 女の声はうしろで聞こえた。三四郎は振り向かなければならなかった。女と男はじかに顔を見合わせた。その時女は廂(ひさし)の広い髪をちょっと前に動かして礼をした。礼をするにはおよばないくらいに親しい態度であった。男のほうはかえって椅子から腰を浮かして頭を下げた。女は知らぬふうをして、向こうへ回って、鏡を背に、三四郎の正面に腰をおろした。
 「とうとういらしった」
 同じような親しい調子である。三四郎にはこの一言(いちげん)が非常にうれしく聞こえた。女は光る絹を着ている。さっきからだいぶ待たしたところをもってみると、応接間へ出るためにわざわざきれいなのに着換えたのかもしれない。それで端然とすわっている。目と口に笑(えみ)を帯びて無言のまま三四郎を見守った姿に、男はむしろ甘い苦しみを感じた。じっとして見らるるに堪えない心の起こったのは、そのくせ女の腰をおろすやいなやである。三四郎はすぐ口を開いた。ほとんど発作(ほっさ)に近い。
 「佐々木が」
 「佐々木さんが、あなたの所へいらしったでしょう」と言って例の白い歯を現わした。女のうしろにはさきの蝋燭立がマントルピースの左右に並んでいる。金で細工(さいく)をした妙な形の台である。これを蝋燭立と見たのは三四郎の臆断(おくだん)で、じつはなんだかわからない。この不可思議の蝋燭立のうしろに明らかな鏡がある。光線は厚い窓掛けにさえぎられて、十分にはいらない。そのうえ天気は曇っている。三四郎はこのあいだに美禰子の白い歯を見た。
 「佐々木が来ました」
 「なんと言っていらっしゃいました」
 「ぼくにあなたの所へ行けと言って来ました」
 「そうでしょう。――それでいらしったの」とわざわざ聞いた。
 「ええ」と言って少し躊躇(ちゅうちょ)した。あとから「まあ、そうです」と答えた。女はまったく歯を隠した。静かに席を立って、窓の所へ行って、外面(そと)をながめだした。
 「曇りましたね。寒いでしょう、戸外(そと)は」
 「いいえ、存外暖かい。風はまるでありません」
 「そう」と言いながら席へ帰って来た。
 「じつは佐々木が金を……」と三四郎から言いだした。
 「わかってるの」と中途でとめた。三四郎も黙った。すると
 「どうしておなくしになったの」と聞いた。
 「馬券を買ったのです」
 女は「まあ」と言った。まあと言ったわりに顔は驚いていない。かえって笑っている。すこしたって、「悪いかたね」とつけ加えた。三四郎は答えずにいた。
 「馬券であてるのは、人の心をあてるよりむずかしいじゃありませんか。あなたは索引のついている人の心さえあててみようとなさらないのん気なかただのに」
 「ぼくが馬券を買ったんじゃありません」
 「あら。だれが買ったの」
 「佐々木が買ったのです」
 女は急に笑いだした。三四郎もおかしくなった。
 「じゃ、あなたがお金がお入用(いりよう)じゃなかったのね。ばかばかしい」
 「いることはぼくがいるのです」
 「ほんとうに?」
 「ほんとうに」
 「だってそれじゃおかしいわね」
 「だから借りなくってもいいんです」
 「なぜ。おいやなの?」
 「いやじゃないが、お兄(あに)いさんに黙って、あなたから借りちゃ、好くないからです」
 「どういうわけで? でも兄は承知しているんですもの」
 「そうですか。じゃ借りてもいい。――しかし借りないでもいい。家(うち)へそう言ってやりさえすれば、一週間ぐらいすると来ますから」
 「御迷惑なら、しいて……」
 美禰子は急に冷淡になった。今までそばにいたものが一町ばかり遠のいた気がする。三四郎は借りておけばよかったと思った。けれども、もうしかたがない。蝋燭立を見てすましている。三四郎は自分から進んで、ひとのきげんをとったことのない男である。女も遠ざかったぎり近づいて来ない。しばらくするとまた立ち上がった。窓から戸外をすかして見て、
 「降りそうもありませんね」と言う。三四郎も同じ調子で、「降りそうもありません」と答えた。
 「降らなければ、私ちょっと出て来(き)ようかしら」と窓の所で立ったまま言う。三四郎は帰ってくれという意味に解釈した。光る絹を着換えたのも自分のためではなかった。
 「もう帰りましょう」と立ち上がった。美禰子は玄関まで送って来た。沓脱(くつぬぎ)へ降りて、靴(くつ)をはいていると、上から美禰子が、
 「そこまでごいっしょに出ましょう。いいでしょう」と言った。三四郎は靴の紐(ひも)を結びながら、「ええ、どうでも」と答えた。女はいつのまにか、和土(たたき)の上へ下りた。下りながら三四郎の耳のそばへ口を持ってきて、「おこっていらっしゃるの」とささやいた。ところへ下女があわてながら、送りに出て来た。
 二人は半町ほど無言のまま連れだって来た。そのあいだ三四郎はしじゅう美禰子の事を考えている。この女はわがままに育ったに違いない。それから家庭にいて、普通の女性(にょしょう)以上の自由を有して、万事意のごとくふるまうに違いない。こうして、だれの許諾も経ずに、自分といっしょに、往来を歩くのでもわかる。年寄りの親がなくって、若い兄が放任主義だから、こうもできるのだろうが、これがいなかであったらさぞ困ることだろう。この女に三輪田のお光さんのような生活を送れと言ったら、どうする気かしらん。東京はいなかと違って、万事があけ放しだから、こちらの女は、たいていこうなのかもわからないが、遠くから想像してみると、もう少しは旧式のようでもある。すると与次郎が美禰子をイブセン流と評したのもなるほどと思い当る。ただし俗礼にかかわらないところだけがイブセン流なのか、あるいは腹の底の思想までも、そうなのか。そこはわからない。
 そのうち本郷の通りへ出た。いっしょに歩いている二人は、いっしょに歩いていながら、相手がどこへ行くのだか、まったく知らない。今までに横町を三つばかり曲がった。曲がるたびに、二人の足は申し合わせたように無言のまま同じ方角へ曲がった。本郷の通りを四丁目の角へ来る途中で、女が聞いた。
 「どこへいらっしゃるの」
 「あなたはどこへ行くんです」
 二人はちょっと顔を見合わせた。三四郎はしごくまじめである。女はこらえきれずにまた白い歯をあらわした。
 「いっしょにいらっしゃい」
 二人は四丁目の角を切り通しの方へ折れた。三十間ほど行くと、右側に大きな西洋館がある。美禰子はその前にとまった。帯の間から薄い帳面と、印形を出して、
 「お願い」と言った。
 「なんですか」
 「これでお金を取ってちょうだい」
 三四郎は手を出して、帳面を受取った。まん中に小口当座預金通帳(あずかりきんかよいちょう)とあって、横に里見美禰子殿と書いてある。三四郎は帳面と印形を持ったまま、女の顔を見て立った。
 「三十円」と女が金高(きんだか)を言った。あたかも毎日銀行へ金を取りに行きつけた者に対する口ぶりである。さいわい、三四郎は国にいる時分、こういう帳面を持ってたびたび豊津(とよつ)まで出かけたことがある。すぐ石段を上って、戸をあけて、銀行の中へはいった。帳面と印形を係りの者に渡して、必要の金額を受け取って出てみると、美禰子は待っていない。もう切り通しの方へ二十間ばかり歩きだしている。三四郎は急いで追いついた。すぐ受け取ったものを渡そうとして、ポッケットへ手を入れると、美禰子が、
 「丹青会(たんせいかい)の展覧会を御覧になって」と聞いた。
 「まだ見ません」
 「招待券(しょうたいけん)を二枚もらったんですけれども、つい暇がなかったものだからまだ行かずにいたんですが、行ってみましょうか」
 「行ってもいいです」
 「行きましょう。もうじき閉会になりますから。私、一ぺんは見ておかないと原口さんに済まないのです」
 「原口さんが招待券をくれたんですか」
 「ええ。あなた原口さんを御存じなの?」
 「広田先生の所で一度会いました」
 「おもしろいかたでしょう。馬鹿囃子を稽古なさるんですって」
 「このあいだは鼓(つづみ)をならいたいと言っていました。それから――」
 「それから?」
 「それから、あなたの肖像をかくとか言っていました。本当ですか」
 「ええ、高等モデルなの」と言った。男はこれより以上に気の利いたことが言えない性質(たち)である。それで黙ってしまった。女はなんとか言ってもらいたかったらしい。
 三四郎はまた隠袋(かくし)へ手を入れた。銀行の通帳(かよいちょう)と印形を出して、女に渡した。金は帳面の間にはさんでおいたはずである。しかるに女が、
 「お金は」と言った。見ると、間にはない。三四郎はまたポッケットを探った。中から手ずれのした札をつかみ出した。女は手を出さない。
 「預かっておいてちょうだい」と言った。三四郎はいささか迷惑のような気がした。しかしこんな時に争うことを好まぬ男である。そのうえ往来だからなおさら遠慮をした。せっかく握った札をまたもとの所へ収めて、妙な女だと思った。
 学生が多く通る。すれ違う時にきっと二人を見る。なかには遠くから目をつけて来る者もある。三四郎は池の端(はた)へ出るまでの道をすこぶる長く感じた。それでも電車に乗る気にはならない。二人とものそのそ歩いている。会場へ着いたのはほとんど三時近くである。妙な看板が出ている。丹青会という字も、字の周囲(まわり)についている図案も、三四郎の目にはことごとく新しい。しかし熊本では見ることのできない意味で新しいので、むしろ一種異様の感がある。中はなおさらである。三四郎の目にはただ油絵と水彩画の区別が判然と映ずるくらいのものにすぎない。
 それでも好悪(こうお)はある。買ってもいいと思うのもある。しかし巧拙はまったくわからない。したがって鑑別力のないものと、初手からあきらめた三四郎は、いっこう口をあかない。
 美禰子がこれはどうですかと言うと、そうですなという。これはおもしろいじゃありませんかと言うと、おもしろそうですなという。まるで張り合いがない。話のできないばかか、こっちを相手にしない偉い男か、どっちかにみえる。ばかとすればてらわないところに愛嬌(あいきょう)がある。偉いとすれば、相手にならないところが憎らしい。
 長い間外国を旅行して歩いた兄妹(きょうだい)の絵がたくさんある。双方とも同じ姓で、しかも一つ所に並べてかけてある。美禰子はその一枚の前にとまった。
 「ベニスでしょう」
 これは三四郎にもわかった。なんだかベニスらしい。ゴンドラにでも乗ってみたい心持ちがする。三四郎は高等学校にいる時分ゴンドラという字を覚えた。それからこの字が好きになった。ゴンドラというと、女といっしょに乗らなければすまないような気がする。黙って青い水と、水と左右の高い家と、さかさに映る家の影と、影の中にちらちらする赤い片(きれ)とをながめていた。すると、
 「兄(あに)さんのほうがよほどうまいようですね」と美禰子が言った。三四郎にはこの意味が通じなかった。
 「兄さんとは……」
 「この絵は兄さんのほうでしょう」
 「だれの?」
 美禰子は不思議そうな顔をして、三四郎を見た。
 「だって、あっちのほうが妹さんので、こっちのほうが兄さんのじゃありませんか」
 三四郎は一歩退いて、今通って来た道の片側を振り返って見た。同じように外国の景色(けしき)をかいたものが幾点となくかかっている。
 「違うんですか」 
 「一人と思っていらしったの」
 「ええ」と言って、ぼんやりしている。やがて二人が顔を見合わした。そうして一度に笑いだした。美禰子は、驚いたように、わざと大きな目をして、しかもいちだんと調子を落とした小声になって、
 「ずいぶんね」と言いながら、一間ばかり、ずんずん先へ行ってしまった。三四郎は立ちどまったまま、もう一ぺんベニスの掘割りをながめだした。先へ抜けた女は、この時振り返った。三四郎は自分の方を見ていない。女は先へ行く足をぴたりと留めた。向こうから三四郎の横顔を熟視していた。
 「里見さん」
 だしぬけにだれか大きな声で呼んだ者がある。
 美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。事務室と書いた入口を一間ばかり離れて、原口さんが立っている。原口さんのうしろに、少し重なり合って、野々宮さんが立っている。美禰子は呼ばれた原口よりは、原口より遠くの野々宮を見た。見るやいなや、二、三歩あともどりをして三四郎のそばへ来た。人に目立たぬくらいに、自分の口を三四郎の耳へ近寄せた。そうして何かささやいた。三四郎には何を言ったのか、少しもわからない。聞き直そうとするうちに、美禰子は二人の方へ引き返していった。もう挨拶(あいさつ)をしている。野々宮は三四郎に向かって、
 「妙な連(つれ)と来ましたね」と言った。三四郎が何か答えようとするうちに、美禰子が、
 「似合うでしょう」と言った。野々宮さんはなんとも言わなかった。くるりとうしろを向いた。うしろには畳一枚ほどの大きな絵がある。その絵は肖像画である。そうしていちめんに黒い。着物も帽子も背景から区別のできないほど光線を受けていないなかに、顔ばかり白い。顔はやせて、頬(ほお)の肉が落ちている。
 「模写ですね」と野々宮さんが原口さんに言った。原口は今しきりに美禰子に何か話している。――もう閉会である。来観者もだいぶ減った。開会の初めには毎日事務所へ来ていたが、このごろはめったに顔を出さない。きょうはひさしぶりに、こっちへ用があって、野々宮さんを引っ張って来たところだ。うまく出っくわしたものだ。この会をしまうと、すぐ来年の準備にかからなければならないから、非常に忙しい。いつもは花の時分に開くのだが、来年は少し会員のつごうで早くするつもりだから、ちょうど会を二つ続けて開くと同じことになる。必死の勉強をやらなければならない。それまでにぜひ美禰子の肖像をかきあげてしまうつもりである。迷惑だろうが大晦日(おおみそか)でもかかしてくれ。
 「その代りここん所へかけるつもりです」
 原口さんはこの時はじめて、黒い絵の方を向いた。野々宮さんはそのあいだぽかんとして同じ絵をながめていた。
 「どうです。ベラスケスは。もっとも模写ですがね。しかもあまり上できではない」と原口がはじめて説明する。野々宮さんはなんにも言う必要がなくなった。
 「どなたがお写しになったの」と女が聞いた。
 「三井(みつい)です。三井はもっとうまいんですがね。この絵はあまり感服できない」と一、二歩さがって見た。「どうも、原画が技巧の極点に達した人のものだから、うまくいかないね」
 原口は首を曲げた。三四郎は原口の首を曲げたところを見ていた。
 「もう、みんな見たんですか」と画工が美禰子に聞いた。原口は美禰子にばかり話しかける。
 「まだ」
 「どうです。もうよして、いっしょに出ちゃ。精養軒でお茶でもあげます。なにわたしは用があるから、どうせちょっと行かなければならない。――会の事でね、マネジャーに相談しておきたい事がある。懇意の男だから。――今ちょうどお茶にいい時分です。もう少しするとね、お茶にはおそし晩餐(デナー)には早し、中途はんぱになる。どうです。いっしょにいらっしゃいな」
 美禰子は三四郎を見た。三四郎はどうでもいい顔をしている。野々宮は立ったまま関係しない。
 「せっかく来たものだから、みんな見てゆきましょう。ねえ、小川さん」
 三四郎はええと言った。
 「じゃ、こうなさい。この奥の別室にね。深見(ふかみ)さんの遺画があるから、それだけ見て、帰りに精養軒へいらっしゃい。先へ行って待っていますから」
 「ありがとう」
 「深見さんの水彩は普通の水彩のつもりで見ちゃいけませんよ。どこまでも深見さんの水彩なんだから。実物を見る気にならないで、深見さんの気韻を見る気になっていると、なかなかおもしろいところが出てきます」と注意して、原口は野々宮と出て行った。美禰子は礼を言ってその後影を見送った。二人は振り返らなかった。
 女は歩をめぐらして、別室へはいった。男は一足あとから続いた。光線の乏しい暗い部屋である。細長い壁に一列にかかっている深見先生の遺画を見ると、なるほど原口さんの注意したごとくほとんど水彩ばかりである。三四郎が著しく感じたのは、その水彩の色が、どれもこれも薄くて、数が少なくって、対照に乏しくって、日向(ひなた)へでも出さないと引き立たないと思うほど地味にかいてあるという事である。その代り筆がちっとも滞っていない。ほとんど一気呵成(いっきかせい)に仕上げた趣がある。絵の具の下に鉛筆の輪郭が明らかに透いて見えるのでも、洒落(しゃらく)な画風がわかる。人間などになると、細くて長くて、まるで殻竿(からざお)のようである。ここにもベニスが一枚ある。
 「これもベニスですね」と女が寄って来た。
 「ええ」と言ったが、ベニスで急に思い出した。
 「さっき何を言ったんですか」
 女は「さっき?」と聞き返した。
 「さっき、ぼくが立って、あっちのベニスを見ている時です」
 女はまたまっ白な歯をあらわした。けれどもなんとも言わない。
 「用でなければ聞かなくってもいいです」
 「用じゃないのよ」
 三四郎はまだ変な顔をしている。曇った秋の日はもう四時を越した。部屋は薄暗くなってくる。観覧人はきわめて少ない。別室のうちには、ただ男女(なんにょ)二人の影があるのみである。女は絵を離れて、三四郎の真正面に立った。
 「野々宮さん。ね、ね」
 「野々宮さん……」
 「わかったでしょう」
 美禰子の意味は、大波のくずれるごとく一度に三四郎の胸を浸した。
 「野々宮さんを愚弄(ぐろう)したのですか」
 「なんで?」
 女の語気はまったく無邪気である。三四郎は忽然(こつぜん)として、あとを言う勇気がなくなった。無言のまま二、三歩動きだした。女はすがるようについて来た。
 「あなたを愚弄したんじゃないのよ」
 三四郎はまた立ちどまった。三四郎は背の高い男である。上から美禰子を見おろした。
 「それでいいです」
 「なぜ悪いの?」
 「だからいいです」
 女は顔をそむけた。二人とも戸口の方へ歩いて来た。戸口を出る拍子(ひょうし)に互いの肩が触れた。男は急に汽車で乗り合わした女を思い出した。美禰子の肉に触れたところが、夢にうずくような心持ちがした。
 「ほんとうにいいの?」と美禰子が小さい声で聞いた。向こうから二、三人連の観覧者が来る。
 「ともかく出ましょう」と三四郎が言った。下足(げそく)を受け取って、出ると戸外は雨だ。
 「精養軒へ行きますか」
 美禰子は答えなかった。雨のなかをぬれながら、博物館前の広い原のなかに立った。さいわい雨は今降りだしたばかりである。そのうえ激しくはない。女は雨のなかに立って、見回しながら、向こうの森をさした。
 「あの木の陰へはいりましょう」
 少し待てばやみそうである。二人は大きな杉の下にはいった。雨を防ぐにはつごうのよくない木である。けれども二人とも動かない。ぬれても立っている。二人とも寒くなった。女が「小川さん」と言う。男は八の字を寄せて、空を見ていた顔を女の方へ向けた。
 「悪くって? さっきのこと」
 「いいです」
 「だって」と言いながら、寄って来た。「私、なぜだか、ああしたかったんですもの。野々宮さんに失礼するつもりじゃないんですけれども」
 女は瞳(ひとみ)を定めて、三四郎を見た。三四郎はその瞳のなかに言葉よりも深き訴えを認めた。――必竟(ひっきょう)あなたのためにした事じゃありませんかと、二重瞼(ふたえまぶた)の奥で訴えている。三四郎は、もう一ぺん、
 「だから、いいです」と答えた。
 雨はだんだん濃くなった。雫(しずく)の落ちない場所はわずかしかない。二人はだんだん一つ所へかたまってきた。肩と肩とすれ合うくらいにして立ちすくんでいた。雨の音のなかで、美禰子が、
 「さっきのお金をお使いなさい」と言った。
 「借りましょう。要(い)るだけ」と答えた。
 「みんな、お使いなさい」と言った。



底本:「三四郎」角川文庫クラシックス、角川書店
   1951(昭和26)年10月20日初版発行
   1997(平成9)年6月10日127刷
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:古村充
校正:かとうかおり
ファイル作成:かとうかおり
2000年7月1日公開
青空文庫作成ファイル:
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